久しぶりにブログを開くと、そこは雪国だった。
完。
冗談。
さておき、久しぶりにブログでも見るかと思って覗いてみると、はてブロが定期的に出すブログ記事用のお題箱や、数少ない購読中の他の方のブログが冬らしい話題ばかりになっている。
いやー。時が過ぎるのは早いなぁ。
というか、それ↑を防ぐために日記書いてたんじゃないんでしたっけね。
ええ。そうですとも。
そうでしたとも。
また半分飽きて辞めかけていたけど、ちゃんと書こう。
最近はどうも周囲でもブログが流行りらしい(サンプル数2)。
なんというか、書き始めたら無限に書きたいことが湧き出てしまうのはもうそういう癖っぽいので、書き過ぎないようにしよう。
割となんでもそうだけど、何かを始めると熱中し過ぎたり手間暇かけ過ぎたりして一回の課題にかかる時間がとんでもないことになっていく。
基数が1以下の正の数である指数関数のグラフのように、スピードがどんどん落ちていく。かかる時間は逆に普通の指数関数のようにどんどん増えていって、首が折れるほど見上げても見えなくなるほど高い数値になる。
↑今もそうなりつつある。これをやめる。
1回の日記を5分で済ました方が良い。
日記に時間がかかり過ぎて嫌になったり面倒になったりするなんて本末転倒である。
日記を書くために日々を充実させ、日々を充実させるために日記を書く。
そんな感じで頑張ります。
以下最近の話
○卒論→まだ。今年中(できれば28日までに)に終わらせたい。
○歯→虫歯に。治療中
○奨学金→2つ申請。疲れた。やっと終わり。
○その他→
・いとこに年賀状出した。宿題でこちらに送ってくれると伺ったため。
・バイト先の近くにある愛すべき定食屋が年内で完全に終わっちゃうので、某同期らと足繁く通う。
・某ちゃんともつ鍋を食べに行く。ありがたい。
・某シンポジウムで某北大のお教授さまにお世話になる。3月に北大で開催されるWSに参加させていただくことに。ありがたい。
・某ねほりんぱほりん出前授業、大泣き。
・学生相談室で一回取り乱し後、なんとか通い続けている。
・モグリ授業には行かなくなる…申し訳ない。演習はギリ出ている。バイトはつつがなく。勉強会は担当変わってもらってしまう。申し訳ない。
・少しストレッチをするようになる。体が軽い。
→総じて寒くなったので慢性的に凹みつつあるがそれでも去年までの比ではない程度にはマシ。
今自分が何をしていて、何をしなくちゃいけなくて、それがいつまでには終わって、その後は何をしたいのか、私は今より長期的な視点で見て人生のどこにいるのか、みたいなのがわかってることに由来する安心がややある。
まあ努力はせないかんのですが、前よりも「やりゃできるはず!できんくてもなんとか修正できるはず!」という気持ちが強い。ありがたいこと。
そのポジティブさと張るくらいには卒論の不安が大きいか? 書きゃ終わるから早よやろうなと。
そんな感じ、寝る。
最近、某寮のアドベントカレンダーが進行しているらしく、ありがたいことにまだ見知った顔がちらほら記事を出しており、楽しませてもらう。
あんまり言わないし、恥ずかしいから面と向かって素面では言えない(酒を入れていないと言えない)のだけど、実は寮の同期がすき。結構すき。
楽しいし、いいやつらだなーと思う。
会うたびに「なんやこいつら」と思わんでもないけど、それでもやっぱり好き。
話しててたのしい。話せないとさみしい。
もう会えなくなるんだな、この先いつか会わなくなるんだろうな、と思うと気持ちがショボショボする。
…というのを最近よく思う。
この前は、なんかよくわかんないけど夢でそいつらともう一生絶対会えないみたいなシチュエーションになって、めちゃくちゃ夢の中で泣いていて、起きたら目の周りがぐしょぐしょになっていた。
夢で泣いてしまったのは久しぶりだった。
うーむ。恥ずかしい話し。
みたいな話を、酒を入れてしまったのでこの前ついうっかり某同期らに話してしまった。
ありえない話し。忘れてくれ。
まあ同期に限らず、寮の人たち(特に親しくさせていただいていた方々)は大好きなんですけどね。上下関係なく(が、ありがたいことに慕ってくれる後輩が多かったので後輩の方が多い)。
人に恵まれたなーと思う。本当にみんないい子いい人いいやつらである。
自分は愛嬌ある方だという自覚はありはするんだけど、関係性とかコミュニケーションって双方向なので、私だけがどれだけ積極的でも成り立たないものだとも思っている。
だから私がそれなりに顔広いですぅ芸人仕草をしていた(というより、できていた)のは、私のコミュニケーションに相手が答えてくれたからであって、ひとえに相手ありき、みんなのおかげである。ありがたい話し。
逆に、どれだけ私が仲良くなろうとして愛嬌振りまこうと、下手に出ようと、笑顔でいようと、会話を盛り上げようと努めようと、それが私だけであったら一切会話は成立しない。
相手が意図的に(それが悪意であれ敵意であれ全くそれらに由来しない理由であれ、無意識であれ)会話に乗らないと決め込むと、もう全く話も関係性も発展しないということは、十分身にも心にも沁みた。
そういうやつがいることも知った。そういう人たちとは決して仲良くなれないのだ。そんなときは諦めるしかない。
当たり前だけど、今の私の周りの人との関係性は、私だけでコントロールできるものではないんだなーというのがこの一年で分かったことかもしれない。
それはつまり、もし今自分が周りに慕われてる、人に恵まれている、楽しいと思えるのなら、それは確実に相手がコミットしてくれてるということだ。
即ち、相手も私と話すことを選んでくれてると思っていいだろう、ということだ。
それはコミュニケーションに付きまとう「独りよがりになっていないか」という不安を吹き飛ばしてくれる力にもなると思う。
そう考えるようになってからはより一層、あー人に恵まれたな、と思う。
なので楽しく話してくれる人、話しかけてくれる人、話そうとしてくれる人はおしなべて好きなんですよねぇ。それは私にはどうすることもできないことで、相手がそう選んでくれているからこそのものだと思う。
それでもやっぱりとりわけ同期と会えるのが楽しみなのだけど、自分だけがそんなに期待してはしゃぎまわって浮かれてると思うと恥ずかしいので、なるべく冷めた風を装っている。
一度誰だったかに迂闊にそんな話をしてしまって「めんどくせーやつだな」と言われた時には順当に凹んでしまったくらいには、やっぱり同期のことが好きだし、会えるの楽しみにしているのである。
結局長くなる。あかん。
そんな感じ。寝ます。おやすみ。