ジカセイノプリン

memento morioka

27/n 祝婚歌

 

思い出したように時々言ってるが、詩や短歌が好きである。

たくさん読むというより、たまに出会ったものをずっとずっと覚えているみたいな、そういうタイプの「好き」である。

 

好きになったものはとことん突き詰めるタイプの人にはあんまり理解されにくいのだけど、それでも好きなのである。

早くたくさん消化しようとはせず、例えば嚥下することなくずっと一つの飴を喉元で転がしているような、そういう好きの形である。

 

 

私はあんまり読書だとか、作品の鑑賞だとかを大学に入るまでしてこなかったし、なんなら読書に関しては今もほぼできてない。

映画館や美術館、博物館はここ数年で段々と好きになってちょこちょこ行くようになったけれど、本に関しては研究書を渋々読むくらい。

たぶんまだ読書の楽しさが分かってないのだと思う。

 

だからこれまで触れてきた作品の数がおそらく他の人と比べても圧倒的に少ないので、振り返った時に思い出せる作品はかなり限られていて、大体が教科書で出会ったものになる。

 

 

そのなかで随一好きだったものを、最近人と話してて思い出したので、よすがとなるよう書いておこうと思う。

 

 

 

 

 

吉野弘さんの「祝婚歌」という詩である。

 

 

以下全文(いつも思うのだが、詩や短歌ってどうやれば「ちゃんと」引用したことになるんだろうかな)

 

 

 

 

 

 

2人が睦まじくいるためには 愚かでいるほうがいい
立派すぎないほうがいい


立派すぎることは 長持ちしないことだと 気づいているほうがいい


完璧をめざさないほうがいい 完璧なんて不自然なことだと
うそぶいているほうがいい


2人のうちどちらかが ふざけているほうがいい
ずっこけているほうがいい


互いに非難することがあっても 非難できる資格が
自分にあったかどうか あとで 疑わしくなるほうがいい


正しいことを言うときは 少しひかえめにするほうがいい


正しいことを言うときは 相手を傷つけやすいものだと
気づいているほうがいい


立派でありたいとか 正しくありたいとかいう
無理な緊張には 色目をつかわず ゆったり ゆたかに
光を浴びているほうがいい


健康で 風に吹かれながら 生きていることのなつかしさに
ふと 胸が熱くなる そんな日があってもいい


そして なぜ胸が熱くなるのか
黙っていても 2人にはわかるのであってほしい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

良!!!!!!!!!!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「正しいことを言うときは 相手を傷つけやすいものだと
気づいているほうがいい」

 

 

 

 

特にここが!!!!!!!!!!

 

あまりに良すぎる。うっ涙が…。

 

 

 

 

 

 

 

 

この作品は吉野弘さんが姪の結婚式に参加できなかった時に、代わりに贈った歌だそうで。

 

(そう書いてるって人がいるだけで出典をうまく見つけられなかったのだけど、確か高校の時に習った際もそんな感じのことを聞いた気がする。一応引用元は→http://poemculturetalk.poemculture.main.jp/?eid=276#gsc.tab=0)

 

 

あまりにもいい作品だからいろんなところで使いまわされているよう。

 

 

 

この作品の個人的に好きなところは、作品の名前も内容の文脈もそうだから、つい夫婦ないしパートナーに制限して考えてしまいそうだけど、別にどんな関係性においても大事なことを言ってるよなぁと思えるところである。

友人でも、恋人でも、家族でも。

 

なんなら2人じゃなくてもいい。3人以上の関係でもいいんじゃないかと思うけど、最小限の関係性としてここでは二人を想定する方が良いのかなとか思う。

 

 

 

 

 

あ〜、良い。すごく良い。

口ずさむならこの歌がいい。

 

走馬灯はこれでよろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…。

 

冗談はさておき。

 

正直なところ、好きな作品を紹介できたのでここで終わっても満足なんだけど、先ほどのような個人的なこの詩の解釈を持つようになったきっかけが明確にございまして、その話をつけたし程度にちょっと書いて、終わりたく存じあげまする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちょうど、この作品を習った高校2年の初夏あたりだったと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当時、私は(実は)演劇部に所属していて、割とガチ目で割とマジメな雰囲気の部活であった。

 

 

練習時間は馬鹿みたいに長くて、

でもそれなりに強くて(といっても演劇部の強さってほぼ顧問頼りなところがあると思うんだけど)、

 

先生は当たり前のように圧政を敷いてみんなメンブレしてて、

同期と早く辞めたいなーとかマジでしんどいなーとか日々言い合うような、まあどこにでもある風景の一つだったんだろうなとは思う。

 

 

先生が酷すぎたからか、同期とは妙な一体感が生まれ、それなりに仲が良かったのかなとも思う。同期全員が女子だったってこともたぶん大きい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

演劇部って何してんのん?ってよく言われるんだけど、大体どこも

 

①年に一度のコンクール、つまり順番がつく大会

②それ以外のいろんなとこでの定期・不定期の公演

 

を一年の間に行ってるという点で、スケジュール感は似てくると思う。②が何個あるかにもよるけど。

 

 

 

 

で、①が大きく分けると、地区大会(田舎は無い)→県大会→ブロック大会(関東とか、近畿とか、九州とか)→全国大会となる。

 

 

で、このブロック大会までが大体秋口にあるのもどこの高校もたぶん同じ。だから全国大会は次の年の夏に行われるので、大会が年度を跨いでしまうという、なんともまあ不思議なスケジュールである。

 

だから3年のコンクールには出場できず、大抵の演劇部は2年で引退というわけである。

 

 

 

 

 

 

 

で、その2年である。

 

 

私たちの代は1年の時に、たしか7年ぶり?とかに県大会を突破できなくて、その年の2年の先輩はそれをすごく責任を感じて大泣きしていたし、私たちも大泣きしていた。

 

だから次は絶対勝つんだい!とみんなで燃えていた2年の春先、先生も次は、と気合が入っていたらしく、もう私たちの台で出すコンクールの台本の初稿を出してきた。普通に早すぎる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それがなんと時代物だった。

 

しかも大正時代。

 

 

 

 

 

 

 

その理由とか、舞台の内容とかは書くと長くなるので省くけど、とにかく大正時代の女学校の話であった。

これで伝わるのか微妙だけど、まんま「命短し恋せよ乙女」とか、「はいからさんが通る」の時代である。

 

あとこの作品に携わってる時に知ったけど、カルピスが初めて販売されたのもこの頃らしかった。

 

 

 

 

 

まあそれはさておき、大正時代の女学校である。

まさにこれである。これは、「はいからさんが通る」のアニメである。

 

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矢絣模様の着物、

袴、

洋風の靴、

バカデカリボン、

 

 

 

そんで、このイラストにはなく、そしてこの後一番の問題になるのが、髪型であった。

 

 

 

 

 

本筋から逸れたが、ともあれ大正時代の割とちゃんとした女学校を舞台にするということで、コンクールは秋なのにも関わらず、たしか春先から小道具やら衣装やらとにかく多くのものを準備することになったのである。

で、その中で特に早めに周知しておかなければならなかった理由が、髪であった。

 

 

端的に言えばその時顧問の先生から告げられたのは、「全員髪をおさげができるくらいにまで伸ばせ」ということだった。

期限はとりあえず夏までを目処に、とのことだった。

ちゃんとした女学校が舞台なので、先ほどのイラストのようなおろした髪ではなく、三つ編みが校則になっている、という設定らしかった。

 

補足いらんかもだけど、おさげってのは、三つ編みのことである。

 

 

 

 

 

 

…、私たちの代は全員女子で8人。

 

この突然のお達しにも余裕だったのがたしか3人。

まあ伸ばせばいけるかって感じだったのが2人。

めちゃくちゃ青ざめたのが3人であった。

 

 

というのも、これは髪の長さによる違いである。

もちろん私は顔面蒼白組であった。

 

 

 

私はなんなら今よりもうちょっと髪が短くて、軽さを最重視して段も入れてたから、もう本当に一番終わってたのが私だった。

 

 

 

結果として青ざめた3人のうち他の2人はおさげにしなくても良い役になり、そのまま顔が白んでいったのは私だけとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

で、もうそこからが大変で、ひじきたくさん食べるやの、恥を忍んでドラッグストアでヘアエクセラレーターとかいうもの(決して育毛剤ではない)を買ってみるやの、頭皮マッサージしてみるやの、たくさん寝るやのいろいろ頑張ってみた。

 

 

 

 

 

が、そこで初めて気づいたのだが、どうやら私はかなり髪が細いらしい。量は多いらしいのだけど、それを損ねて余りあるぐらいには髪が猫毛過ぎる。

 

 

だから、もとからかなり「夏まで」という期限を考えてもほぼ見込みなしだったのだけど、そういう元の性質も相まって、おさげの長さにまで伸ばすのは、もう絶望的だった。

 

 

 

 

 

 

…でも、だとしたらどうなるのだろうか。

突然舞台に出るチャンスもなく即裏方ないし、舞台に関わる頻度が激減するところに行くのだろうか。

 

 

 

 

 

 

…最後の年なのに?

 

 

 

 

 

 

 

 

と思って、まあ諦めずにさきほど述べたような食事やら、マッサージやら、早寝早起きやら、育毛剤もどきやら、たしかじいちゃんかだれかから奪い取ったガチの育毛剤やら総出で、髪に良さそうなことは全部やった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…が、髪は伸びなかった。

いや伸びてたんだろうけど全然足りなかった。

 

余談だが、肌艶はすごく良くなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で、検査ってほどでもないけどみんな最近髪どうよーみたいなチェックの日がきた。

 

 

 

舞台監督…というか、小道具や衣装の管轄をうちの部は先生ではなく部員の誰かに割り振っていたのだが、その時の担当の某氏(ここではS君とでもしておく)に、髪をおさげにできるかチェックしてもらったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で、まあS君髪を括るのがかなりうまかったので、私のヘニョヘニョの髪でもなんとか工夫して、今思えばどうやったのかさっぱりなんだけど、なんと驚くべきことに三つ編みもどきみたいなのを作ってしまった。

 

 

 

 

ただそのなんと貧相なことたるか。細いというかなんというか、凶作の時の麦とか、シャーペンの芯とか、単に糸とか、当時部内のみんなやその他諸々から爆笑と共に散々に評されたことを覚えている。

 

 

 

 

いやそれは普通にまあ面白かったから別にそんなに傷ついてないし良いんだけど、

 

「ああやっぱりあの短期間じゃ、あそこまでやっても無理なんだな、間に合わなかったんだな、わたし三つ編みできないんだな」

 

ということはずっしり胸に沈んでいた。顔に出さんようにはしたけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で、そこにS君が

 

 

「これじゃ劇までにちゃんとしたおさげにはできないね」

 

 

とサラッと言ったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まあー、もうお気づきかもやけど、これがいっっっっちばん堪えたのだった。

 

 

 

 

 

 

うまく笑って流そうと思ったのだけど、絶句してしまい、そのまま部室から出て石庭と呼ばれる中庭の隅のベンチで1時間ぐらい座り込んでいたらしい。

よく覚えていないんだけど、そう言われたからたぶんそうなんだと思う。

 

 

 

 

でも他のみんなの讒言からしたら、S君の言うてることはあまりにまともで、あまりにそれ以上でも以下でもなく、あまりにただの事実だった。

 

 

 

 

S君は私を貶めることもせず、正しい事実を言っていただけだった。

なのに、というよりだからこそか、それが一番苦しかった。

 

 

 

 

S君も当時、「なんでこんなことでこんなに凹んでんの?めんどくさ、むかつく」と思っていたと後で教えてもらった。

 

 

そらそうである。

舞台監督として普通に事実を伝えただけなのだから。なんなら限りなく淡々と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で、その後S君とややギスギスしながら1週間ほどが経った。

 

 

そしたらある日S君が放課後の部活のとき、突然私にこの前三つ編みできませんねと言った時のことを話題に出してきた。

 

 

で、私がムスッとしてるとS君が続けて、

 

 

 

 

 

 

今日自分のクラスの国語の授業で「祝婚歌」をやって、特にその中の

 

「正しいことを言うときは 相手を傷つけやすいものだと気づいているほうがいい」

 

 

ってところを先生に当てられた誰かが読み上げたときに、あ。と思ったのだ、と言った。

 

 

 

 

 

 

そんで、

「だからあんなに落ち込んでたんだなって」

と言ってきて、

 

 

 

私もその言葉で初めてなんであんなに自分が凹んでたのか気づいてハッとしたと同時に

 

「こいつたかが国語の授業の作品でよくそんなことまで気付けるな」

と思ったのをよく覚えている。

 

こいつほど国語の授業にちゃんと参加していたと言えるやつはいないんじゃないか、とか。

 

 

 

 

 

…たぶん事実だからこそ、その裏にある悔しさとか悲しさとかをうまく言い返せなくて、黙ってしまうのだと思う。どれだけ頑張ったかなんて露ほども関係なく、淡々と結果は出てしまう。

 

はたからみればただの結果にしかすぎなくて、その結果を事実として述べること自体には何の誤りもない。

でも何も間違っていないからこそ、当たり前だというように指摘されると、そのかげに隠れた多くのものをぐっと飲み下すしかなくなってしまう。

 

 

だからこそ悲しかったのだと思う。

汲んでくれとは思わないが、そういう事情もあったんだと、せめてそいつには知っておいてほしかったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まあ、そんなこともあり、謝られた手前かまってちゃんみたいになってるままなわけにもいかないし、というかこの時点でわたし相当めんどくさいやつやし、

そのあとは私もS君に謝り倒して、

髪の毛はとにかくその後も少しでも伸ばせるようできることはとにかくやって、

 

結局本番ではS君の手を借りて確かなんとかおさげにはして、コンクールに出たように思う。

 

 

 

 

ありがたい話で、私たちは次の夏まで部活を続けることができたので、結局私のシャーペンの芯も最終的にはそれなりにちゃんとしたおさげにはなった気がする。…私の気のせいかもしれんけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まあそんなこともあり、いくつかこの時に思ったのは

 

・「正しいことを言うときは 相手を傷つけやすいものだと気づいているほうがいい」は多分まじなんやなということ

 

・恋人や夫婦に限らず、友人関係でも、というよりどんな相手だとしても、それはとても大事だということ

 

 

 

 

であった。

 

これがまとめでいいのかわからんけども、結局いまだに同期の中で縁があるのはS君だけだったりする。

 

 

 

 

あと私がパターナリズムについて気になり出したのも、高校卒業後にあの聡明なS君が頭のおかしい恋愛に身を破滅させていきはじめたからで、それをどうにか止めたかったことがきっかけだったりする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あとは、たまに会っては毎度毎度なんやこいつと思いながらも、

 

 

こいつなら完全に素を出してもええかな、

嫌われんかなとか思わんでええかな、

嫌だったら言うてくれるって信じて良いよな、

 

 

 

と思いながらそっと寄りかかって、なびく風に吹かれながらふと胸が熱くなるのは、

 

 

今のところ、やっぱりS君だけなのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そういうわけで、この詩は私の中でひときわあたたかく燈り続けているし、

 

いつ思い出してもあの頃の部活のこととか、辛かった時間とか、そういうのと必ず一緒にS君の言葉もいつも引き出しから取り出してきて、

ちょっとなつかしくて、うれしい気持ちになるのだ。

 

 

このことが、高校生活の中で実は一番好きな思い出だったりする。

 

 

 

それをつい最近また寮の友人らと話してて思い出して、あ〜ってなったので、書いておこうと思ったのであった。

 

 

 

 

…S君は元気だろうかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まあ、S君って同期の女子なんやけどな。そう言う呼び方してただけで。大事な友人です。

あとは来月S君に会いに行くんで普通にS君は元気です。ほな。