「昨日は最悪だった
わたしなにもわるいことしてない
本棚に積み重なってる
あれは夢も希望もないぜ
君はいつも死にたがった私を
連れ出してくれたね
君はいつも歌って踊る
晴れた日には 特に
2人で 外へ」
カネコアヤノ「追憶」より。
まあ今となっては全く死にたくはならないんですが、慢性的に死にたかった頃にはことさらこの曲に手当をしてもらっていたことでした。
うーん。これ前に書いたかもしれないけど(忘れた)改めて。
どうもかなり性格がかなり変わってきているらしい、ありがたいことに良い方向に。考え方も価値観も(同じか)。
人生に対する考え方(バチバチにネガティブからそれなりにポジティブに)、希死念慮の消滅、あとそういえばそもそも芸術に対する素養も鑑賞能力も価値づけも全くなかったんだけどそれも変わったんだよな。
「今がどうであれ人生はどんどんよくなる」という、全くそれ自体としては無根拠な(しかし、まさに無根拠だからこそ最も強力になる)信念がとある時に生まれて以降、なんだかすっかり楽になった。
楽になるどころか、この先きっと何があってもまあ大丈夫だろうなという、一番欲しかった安心感を手に入れた。
まったく無根拠であるけれど、しかし偶然ある日あたまのなかに振ってきたわけではない。たしかに自分でつかみ取ったものである。
ということさえ今となってはあまり思い出して考えて自信を得るような儀式はしない。そんなことしなくても常に安心感と自信がある。
随分強くなったことである。
(が、こんなこと今更また書いているということは少し弱っているのかもしれないが。一番強いのはいちいちそんなこと考えなくてもいい状態であるときだろう。)
でもまだできないことが山ほどあるし、なりたい理想像の条件はまだ揃いきってない。きっと一生揃うことはないのだろうけど、でも大して絶望はしないなあ。
こう書くとあまりにもペテン感はなはだしいのだけど、いい感じに治りきってきたところに、バフとして哲学が効いたなあという感じ。
どんだけ拗れてもスレててもこんなとこまで来てしまった以上、知識に対する好奇心からは逃れられないんだろうなーとか。
それは所謂テンプレ的な「おべんきょう」のような机上の勉強にとどまらず、新しい場所に行くとか話したこと無い人と話すとかやってみたことないことやるとかの新しい物に向けられる興味だろうな。
うーん、なんだか書いてみたものの別に大していい気分にならないな。
旅行とか行きたい旅行とか。
台湾、韓国、ドイツ、タイ、イギリス、イタリア。
あと国内で沖縄、北海道、北陸、北関東、福岡、広島、静岡、東京。
あ、あと四国の南側。高知で鰹を食べたい。昔一度だけ連れて行ってもらったらしいが幼すぎて覚えていない。
お腹すいた~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~あ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~。
鰹食べたい鰹。