ジカセイノプリン

memento morioka

7/n

 

 

「あなたしか触れられない光、音、感情の輪郭線を教えて」

 

 

 

 

 

とてもいることと、いらんでいいことを聞いてしまった。まずいらんでいいことから。

 

 

このブログ、まあまあ知人にバレてるらしい(ふざけんな)。

まあまあの数の人にバレてる上で、まあまあの数の人がそのこと黙ってるらしい。

 

 

 

…。

 

 

 

過去の日記で、わたし何回も何回も何回も、「読んでるなら言えよ!」って、言ったよな?

 

 

言ったよな??

 

 

…。

 

 

 

……………。

 

 

 

 

 

 

 

でもバレて良くないもの書いてる方もどうかって話になるしなあ…。

 

というか昨日と一昨日もまたPVおかしくなってたからたぶん誰かにまたバレたなぁ。それか全く私のこと知らない人が流れ着いてしまったのか。

 

 

うぴぃーーーーーーーー。

ぐあああーーーーーーーーーーーーーーー。

 

 

 

 

なんかなぁ、「誰か」に読まれてるだけなら全く気にならないし、むしろ誰にも見られないのが辛かったりするからむしろあざす!って感じになるのだけれど、特定の「〇〇さん」に読まれてるって思うと、なんかすごく身構えてしまうのよな。

嫌われるんちゃうか、みたいなあたりで怖くなる。

 

いやバレてなかったらええんやでとはならんのやけどね。そう言う意味で曝け出してもかまへんやろと思って始めた日記だから、あってはいるのだけれど。

 

 

むしろ感想もらえていいじゃないとか、知人に見てもらえる方がよいって人も聞いたから、そういうのあるのかともなるんだけれど。

 

 

近況報告ってよりは、本当に匿名の愚痴ってスタンスで書いてるからそういうことになるのかも。

(それはそうと匿名の愚痴はクズすぎるだろうと)

 

 

以下、このまま冒頭のもう一方の、とてもいることにぬるっと移行するけど、たぶん頼るかケアかの二択の話に通じるものがあるように思う。

 

この日記は、頑張るぞー!ってよりも、頑張るの疲れましたトホホみたいなところを、誰かに見せることもできないので一人で消化(昇華でありたい)してる側面がかなりある。

 

そういう己のよわーいよわいよわいよわいところを、本当は誰かに否定されたくないしケアして欲しいものだけれど、それって誰にでも頼めるものでもないし、なにせ相手にすごい負担を負わせるので良くないんだろうなあと思っているし、難しいからこそ一人でやろうとしている。

 

 

あーなんかうまくかけない。本当は友人にはもっと的確に分かりやすく教えてもらったのだ。

つまり私は頼るとケアしてもらうのをごっちゃにしてる、とのことだった。

 

例えば、院進するぞ!って言うて頑張るぞ!と頑張りたくない…みたいな気持ちはだいたい誰にも会って、頑張りたい!って気持ちをベースにしてここあってるか見て欲しいですとか、この本読みたいんですけど一緒にお願いできませんか、みたいなのは頼り。ただ、頑張りたくない…の方までさらけ出して気を遣ってもらうのはケアだとのこと。

なんやろ、前向きか後ろ向きかみたいなことなんかな。

 

私はこのケアを先輩にまでさせてしまっているんだろ、とのことだった。上下関係はケアが一方的にしか成り立たないから、そこでケアさせる関係求めるのは良くないよとのことだった。その関係でそこまで求めるから、おかしいことになるんじゃないのか、頑張りたいって口では言うてるのにキツイやの頑張れないやのそういうことを言うてしまうから頑張れない…の方までケアなり世話なりさせてしまう的な。

 

 

 

自分で書いててめちゃくちゃキショいな。

 

 

うーーーん…。

 

 

頑張れないよーと言うよりも、頑張れ!頑張る!的な方がいいと言った人の気持ちがわからんでもなかったり。

めそめそ濡れた埃(濡れた埃というのはひねくれた人間の精神の揶揄です)をいじって心を守ろうとするだけでは、帰って心にカビが生えてしまうのかもしれない。カビは血液に乗って全身を巡り、最速で身体中を腐らせていくのだろうな。

 

そー思うと、ちょっとカネコアヤノの考え方に納得がいかなくなるのもわかるようであるよ…。

まあ。極端になりすぎず。

 

 

今日はもう遅いからねるけど、また続き書こう。

おやすみ。

 

本題の日記が書けてないけど書きたいことがあるときに、〇/n方式使いがちであることよな。

 

 

 

追記:

読んでるやつ、全員今すぐ名乗り出ろ。

名乗りでなければ殺す(某鬼風)。

 

 

嘘です。

 

この日記、なんか楽しんでくれてる人とドン引きしてる人が半々くらいぽいので、こっちも面白がって着飾らずいこうと思います。

 

結果として日記がヘドロになればそれが今の私だということだし、いつかそこから蓮の花でも咲けばそれなりに心が穏やかになったということかもしれんですし。

…こういう比喩、どこまで伝わってるんかな。

まあいいや。こんなん読んでるなんて、物好きですねとしか言いようもないけれど、でも読んでくれてるのは、なかなかうれしい。

 

いつかちゃんと「私のブログです!」と言えるようやことを書けたら良いよなあとも思う。

そのためには削ぎ落とさなければならない澱がやまほどくっついているわけやけどもな。

それもまあ、まあ、いそぎつつ、あせらず。新しいスタートを切りながらいこう。