ジカセイノプリン

memento morioka

3/n 2022ふりかえり 長い日記

(バカ長くなった。自分の日記だから別に謝る必要ないんだけれどこれはすごい。15000字超えた、重複も多いし。

たしかに人に見せるものかどうかはっきりしないままやってると、文章の長さとか気にしなきゃでめんどくさいかも。)

 

 

自分のことをつまらない人間だと思うことは、良くないことなんだろうか。

 

そう思わざるを得ない原因があってそうなったのだろうと思うのに、そう思ったら思ったで周りからやれめんどくさいだの、やれそういう自信ないやつが一番つまんないだのと指摘されてしんどくなる。

傷に対する防御反応としての自省(しかも割と正当だと思われるような反応だろうのに)に対してもさらに追い討ちが来るような、そんな印象を受けるのだ。(要は「どないせぇゆうねんハゲコラ!!!」といった感じです。)

 

この問いに対してなんで答えればいいのか、正直わからん。

YESだとしたらあまりにマチョチズム(マチズムが基本的にめちゃくちゃ嫌いなので揶揄も込めてマチョチズムと呼んでいる)すぎる。

お前は今まで他人から受けたマチョチズムで苦しんできたのに、そこから何も学んでないんだな?お前は人より痛みを受けてきたからこそ、だから人には痛みを与えないようにするという強みに転じさせられうるのに、抗わずに痛みを再生産する側の浅い人間になるんだな?と自分に対しても他人に対してもイライラするので非常に嫌だ。

 

NOだとしたら弱い自分を肯定して(それ自体は良いことだけど)、自分を変えない理由の一個にしたり、逆に自虐として自分の傷を自分で舐め続ける根拠にしたりする可能性があり、それも自分のなりたい自分像から離れるので嫌だ。

 

 

 

…というような話になるのかもしれません。最初に思ったことを書き殴ったらこうなりました。この記事を書き終わった時に、どっちつかずではない何かそれらしい答えが出てれば良いんやけども。

 

今年の振り返りをします。こういうの書くの初めてだし、何日か前から書き溜めてたので途中で考え方も変わってるとこあって支離滅裂加減に拍車がかかってます。

まあでも日記なんで。そのうち誰かに読んでほしい日記を書きたくなったらその時にまた書き方とかリテラシーとか読ませる努力を学びます。だし、今はこう書きたいので、こう書きます。

ほな、いきます。

 

 

 

2022年が終わるらしいですね。(納得できん、くたばれ。)

あまりこういうこと言うと老人ぽくなるので言いたくないけれど、この前2022になった気がするのになぁ。

というか、気持ちが2022になる前にもう2023になられようとしてる感じ。ひょっとして気持ちがまだ追いついてない? 今までは遅くても5月くらいにはその年その年の気持ちにちゃんとなってたのに。そういう時期が来ないまま12月になっちゃったな?

2000年生まれなので、年齢と西暦の下二桁が必ず一致するためかなりありがたい。のだが、そうなるとつまりは、22歳であるとあう自覚もあんまりなかったということなんだろうな。でも21歳だというイメージもあんまりない。(じゃあいま何歳の自覚なんだ?)

 

 

まあそれはいいとして、今年は1〜3月は2回生の最後として、4〜12月は3回生として過ごした1年だった。

それぞれざっくり、1〜3月を冬、4〜6月を春、7〜9月を夏、10〜12月を秋として振り返ろうと思う。

(こう思うと冬〜秋で1年を区切ることになるので年末年始っていつも変な時期に1年を総括しないといけないよなって感じる。もどかしい。)

 

(もう先に言うとくんですがかなり暗いです。でもこういう暗いとこ含めて私なんですや。前向きではありたい。ただこういう文体にはなってはしまうのです。前向きですよ基本的にはかなり。

文章化するときにはかなり暗めにカッコつけて書くのが好きなんでこうなってしまいます。)

 

 

まず2回生時代、1〜3月の冬に当たる部分。

なんだろうな、なんとなく辛かったかな。とりあえず私の1、2回生時代は全体的に死んでて、自主的に何かを選び取ったり満たしたりすることが分からなかったのでひたすら周囲の変化に過度に影響を受け受動的なまますごした期間だった。

「自分の人生」というものがわからんかったな。今まで一緒にいたみんなが次々と突然に各々の道を見て別々の方向に進んで行き始めるのが理解できなかった。俺たち今まで一緒だったじゃん!みたいな。

一時的に一緒に乗り合わせた船だったということを忘れて、一生一緒にいるだろう、というなぜかよくわからない勘違いをいつもしてしまうのだ。

あ、一生一緒というのは不適切かも。「きっとこのあたたかくて楽しいみんなとの時間がずっと続くんだい!ビバ!みんな!」みたいな気持ちかな。毎回そう思って、でも別れがついに訪れて、勝手に裏切られた気分になって、もう信じないぞと思った次の出会いでまた「きっとずっとこの幸せな時間がこの幸せなメンバーでずっと続くんだい!ビバビバ!!みんなあ!!!」と勘違いしてしまう。だから環境が同じでも年度が変わってそこにいる人が変わっただけであれ?となる。どんな環境でも毎年人がそこそこ入れ替わるだろうので、毎年そこそこ苦しんでる。これは中学の部活からずっとそうで今もそう。

ので、「あれ?一緒だと思ったけれど、自分だけ置いてかれてる…?」と思いつつ、じゃあどう動けばいいかさえもわからず焦りと不安のなかで泣きながら眠るしかなかった、という辛い期間の最後の3ヶ月、が今年の最初。実はみんながみんなそれぞれ自分の足で立っていて、いつでも別の方向に歩き出していくものだと理解したのがこの辺。(しかし、12月現在、自分はいまだにそれをできてないので本当の意味では理解できてないのだと思う。いられるならいつまでも同じ場所に、なんてうっすら思っていて、いつかこの考え方変えられる?大丈夫? なんて常に自問自答いまだにし続けている。)

 

2回生の最後の春に、その当時の心の支え(というか依存してたかな)になってた人が卒業して、「あれ?そういう自分にとっての支えになってるような人ってずっと私のそばにいるような気がしたけれど、全然そんなことないんだな?」ってそこで初めて理解できて、というか向こうからしたら別に私はなんでもない人間で、当たり前のように時が来たら離れるものだった。

もちろんだけれど止めることもできず止める権利もなく、卒業と引越しっていう当たり前の出来事に当惑して全く理解できなくて伏せってた気がする。その人が引っ越した日は泣きながら寝た気がする。でも別にどうしようもなかったし、寂しいと伝えても別になんともならないことを知ってたから誰にも言わずにこっそり眠った。枕はべちゃべちゃになったし、その時の涙シミが洗っても消えてない。

そう、たぶんあれは一言でいえば、寂しかったんだろうなぁ。めちゃくちゃ私は寂しがりやだと思う。隠したいから頑張って隠してるけれど、本当はめちゃくちゃ甘えたいんかな、たぶん。知らんけど。(でも甘えたら自分がダメになることも知ってるからしたくない。甘えても自制を失わずにいられることが目標かもしれない。)

 

 

そんなこんなで2回生が終わった。

ちょうど大学生活折り返しの2年間の終わり、みんなが引っ越したり卒業したり留学したり退学したり次のステップに向かっていった時期に私は失ったものばかりでこれからの春に希望なんか全くなくて、私これからどうしたらいいのさ?と思いながら、でももう手元には何にもなかったから無理矢理にでもどこか遠くを見ようとして、毎日気持ちを誤魔化していたような気がする。

直視したら潰れそうな自分の今の生活から逃げ続けた冬だった。身も心も凍えて何にもできなかった。

寒かった。そうして1〜3月の冬が終わった。

 

 

 

 

で、春になった。3回生になる。また寮の後輩が一世代増えた。大学生活も後半戦だ。大学でいえば、私は研究室に入った。倫理学研究室だ。この時期の大きな変化といえばそのくらいか。あとは就職活動を早めにスタート切ろうとして、ダラダラと最低限「やってます!」と言えるだけの活動(合同説明会に出るとか)だけはしたけど、結局ずっと手につかなくて今に至る、要は何もしてない。

自分の足でそれぞれの方向に向かって立つということの実践がまだうまくいってなかったんやろうな。

 

4月の頭に初めてコロナにかかって誕生日は部屋で隔離されてた。研究室の最初の懇親会のお花見には行けなかった、すごくつらかった。私が最初に研究室に行った頃にはもうグループができてたらどうしよう、みたいな高校生か?と思わんばかりのウジウジをしてた。代わりに自室で、恋愛で頭がおかしくなってる高校の同期からの相談を電話で受けてたり面白がれなくって、早くなんとかならんかなーめんどくせぇ!みたいに思ってた。

なんで親が不倫で離婚してる私が浮気のおかしさみたいなのを人に語らなきゃいけないんだろ?みたいな気持ちで浮気の悪さ(浮気で別れた親たちの子供目線)の話をその友達にしてた。なんてことだ。

 

(ちなみに浮気や不倫がダメなのは、当人以外の周りの人が当人たちより苦しむことになるからだと考えてます。つまり、皺寄せが本人たちだけにとどまらないから ex)) 子供とか、です。私の考えでは、だけど。)

 

そのあとは前期の終わりくらいまで、今期で大体単位取り切るぞ!と思って授業をめちゃくちゃ入れちゃったので予習復習にヒーヒー言いながらなんとか乗り越えようとしてた。二外がないって楽だなあとか、あれ?倫理学けっこう面白いかも?とか思ってた気がする。(それ以外の授業は雑に受けてたので記憶にないです。)

研究室にも結構遊びに行ってたし、飲み会にも勉強会にも顔を出しまくってた。楽しかった。でもその分余裕はあんまりなくって、6月あたりに就活が夏に向けての一山にさしかかり始めたのに、就活に割く余裕が全くなくて焦りだけが募って一回かなりダメになった。それがずるずる慢性的に今も続いてる。

就活倒すまでこりゃ引きずったままだろうな。逆に倒したらどんだけ爽快になるんやら。就活ってうまくいかない苦しさを抱えるケースはよく聞くけれど、取りかかれない苦しさのケースってあんまり周りでも聞かないんよな。やから相談しても、じゃあ動けよ!としか返ってこんわけで。なぜ動けないんかという悩みに対する同意はかなり得られにくい。めちゃくちゃ孤独だし自分が頭おかしいんかなと思ってしまう。なぜ取りかかれないか、みたいな本なり研究なりなんか答えないんかな。

自分なりに考えてたことだけど、まずある程度キャパを超え出すとそもそも取りかかれなくなる、なのに焦りだけが募ってさらにより動けなくなるというのが私のダメな時の特徴らしい、ということが分かってきた。そういうときは無理にでも切り替えるなり、持ってるものを捨てるなりしないと。

やっと一個わかったけれど、ここまでくるのも大変だった。また次の壁も大きいな。

 

 

あーあとブログで日記をつけ始めたのもこの時期くらいから。6月くらい? 日記はずっと書きたいと思ってたのだけれど始めさえ出来なかったんだよな。それが形だけでもそれらしいものができて嬉しかった。研究室でのこともうれしくて書いてたらみんなにブログがバレてたことが分かったのはもう少し先のお話。(ブログはものの1ヶ月で飽きて、しばらくやめてて、そんでまた始めたのが11月かな?そのときにバレてたことがわかっていちどアカウントをリセットした。そんで再開して今に至る。)

 

4〜6月の春をまとめると総じて、いろいろ動き出したぜ!みたいな意味では春らしかったかも? 新しいことを知れて、新しい環境もとっても素敵で誇らしくて大好きで、うわー門出大成功だあ、ハピネス! みたいな気持ちは確かにあった。

ただ就活の焦りが強すぎて苦しかったイメージも強い。

 

 

 

7月〜9月あたり、夏に入った。前期が終わり、就活に対する不安に苛まれ続け、遊びの予定が多すぎて忙殺される本末転倒になり、体調を崩し、帰省中もなんだか忙しく、依然就活は手につかず、人と揉め事を起こし、9月からは新しいバイトを始めてより忙しくなり、それでも楽しいことが増えてうれしいなあと思っていた時期だ。

楽しいことがたくさんあって、それに自分の体力や気力が追いつかなかったせいで十分に楽しめなかった時は、本当に自分のキャパの小ささが恨めしいなと思っていた。それがめちゃくちゃあった時期だ。まだ手をつけられてさえいない就活にも苦しめられてたし。

わたしこういうエア苦しみ多すぎるな。これからは案ずるより産むが易しで行こうかしら。とりあえず動け!的な。手をつけられていないものにひたすら焦る時間、めちゃくちゃ無駄やとは思うんよな。来年の課題だなあ。敵はなるたけ早めに取り掛かって潰す!とか。本当にそんな感じ。

 

 

今年あたりからGoogleカレンダーにスケジュールを全任せしてて、今それを見ながら思い出して書いている。うーん、これだけ見たら「本当にそんなに忙しかったんか…?」と思うくらいには、ギチギチではない。というかスケジュールすかすかだ。

やっぱり私のキャパシティが引くぐらいちっちゃいだけじゃないのか。うーん。

 

 

あ、学部生のチュートリアルもこのへんで始まったんだ。あと7月末にバイトの面接して9月から新しく図書館でバイトが始まった。そんで前のバイトを辞めたんだ。就活の予定がこの辺からめちゃくちゃ減ってる。疲れたんだな。

でも普通に考えたら就活、研究室、バイト、私生活ってかなり無理してないか?みんなできるのすごいや、今の私にはちょっと厳しかったんかもしれん。

 

キャパが足りないって、どういうことを指すんだろうな。私はよくこの言葉を使うけれど、分かってないんかもしれない。

ずっと頭の中をそいつらに占められてて、優先順位付けるのが苦手だからどれからやろうか考えてるうちに疲れちゃう感じ?それと、一個なにか終わらせた時に残ってるエナジーゲージみたいなのがもうほとんどなくて1日にそもそも動ける量が人より少ないみたいな、そんな感じ?

あとはそもそもうまく効率よく動けないし、動きたいとも思えなくて目の前にあることに飛びついてしまうから無駄なエネルギー浪費がある感じ?とかかなあ。あ、あと回復に要する時間も人より長い。夏休みに何にも予定がない一週間があったんだけれど、その他の忙しい期間の疲れをそこでとって、かつ普段できないゆっくりした時間を取ろうと思ってたけど何にもできず倒れたまま終わった、びびった。

 

うーん。でもこれらを理由にして逃げるのって、自分からしたら「でもしょうがないじゃん事実なんだから」って感じだけど、できる人からしたら「逃げやろ」としか映らん気がする。まあ、経験したことないものとか、自分と違う状態の人間のことって基本的にお互いわかんないよなあ。だから話し合って自分以外の人間のことを一つ一つ理解していくしかないと思うんだけれどなあ。

それはそれとして、キャパ問題はもう少し継続議論だなあ。

 

 

話がそれた。

学部生チュートリアルGoogleカレンダー曰く9月末から本格的に動いたようだ、多分だけど11月に初めての発表があるにしては遅すぎたからもうちょい早くから頑張るべきだった。次に活かそう。

来年はもっと発表のタイミング増えるはずだぞ…、就活来年に残したらかなりヤバそうだぞ…。それもそれでキツそうだけど楽しそうとか思っちゃってて、やっぱりバカだなあ。でもそういう自分もちょっと好きだから困る。この辺はきっとカネコアヤノマインドなんだろうなぁ。

(いやいや、カネコアヤノを言い訳にしてるんじゃないんです。自分や他人の欠点を、馬鹿だなあと言いながらも、そこもひっくるめて愛おしがる彼女の自己と他者どちらもの受容の美しさに惹かれてどこか真似してるんですわ。

まあだからと言って欠点直すの諦めたりはせんけどな!見とけよ!自己受容と自問自答を適度にバランスよく繰り返せる人間が一番強いと思っとるよ!)

 

 

たぶん夏までは持ってる人間関係が多すぎた。夏を境に一旦切れた関係性がめちゃある。たぶん当時の私にはもう持てない量だったんだろう。かなりあやうい時期だったな。

これは最近思うことだけれど、私は自分だけの時間がほぼない。あってもネットサーフィンしてるだけ。本読んだり、好きなテレビとか映画とか動画とか見たり、一人で明確に目的地決めてでかけたり、そういう自分の世界を深める時間がない。それもこれも人と会う予定を詰め込みすぎる自分の悪い癖もあるんだけれど、それが度をすぎると自分でも忙しすぎてしんどくって、なんでこんなことしてるんだ? と相手に対して憎しみが湧く時が出てくる。そんなの良くないよね、ということで自然と無理な関係は無くなっていく。

通ってた整体の先生(恩人ではあるけど途中からもう話聞くだけになっててめんどくさかった)、寮のクソみたいな先輩(先輩と呼ぶのも少し違う、なんか一方的に利用されてる感が強くてでも逃げ出しにくくて1ヶ月くらい塞いでた)、前のバイト(オンラインのバイトが自分にかなり合わないと気付けただけ良かったかな。かなり優しい上司だったのだけれどそれに気付いたのが仕事辞めるぞって決めてからだった)、いろんな友達に会うぞ会うぞって連絡してたのが一通り片付いた(片付いたって言うちゃってる時点でもうタスク化してておもろい)。あと昔大切だった人にもいまだに会ってたなあ、未練がましかったなあ。もう今は会ってない。なんとも拗らせていたものだ。途中からもうしんどかったのにな。

あとは寮関係の人間関係をかなり希薄にした、これは意図的、もうできるだけ関わりたくなかった。それは夏までの反動で人間関係自体を減らしたかったのもあるけれど、ちょっともう寮の体勢についてけんなと思うことが増えたからだ、端的に言うとキショいと思うことが増えたからだ。もうそれはしゃーない。今は保留。

ただ、寮の人間はすごく好きだよ。前にもなんかの記事で書いたけれど、すごく不思議な関係だと思う。出会えてありがたかったし、一緒にいれてすごく幸せだ。ありがとう。近すぎて腹立つことも嫉妬することも正直めちゃくちゃある、でもそこも含めて好きなんだ。こんなこと家族にさえ思えなかったから、自分にびっくりしてる。ありがとう。

 

あと、寮の思想に基本的には同意できないんだけれど、「それはお前がやるんだよ」精神だけは好きだな。

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↑むかーし、こういうタテカンが立ったらしい。誰が立てたのか私は知らないけれど、ちょっと有名になったそうだ。

これはいいよね。私は普段、あれがないんだ、これがダメだって言いたくなるし、よくやっちゃうんだけれど、不満を言うのはめちゃくちゃ楽なんだよな。でも言うだけでは何も変わらないから逆に一番しんどかったりもする。

文句言うくらいなら自分がやっちゃえばいい!という吹っ切れと勇気を感じる。普通に自治とか闘争の文脈抜きでもかなり背中を押される言葉だから好きだ。

 

 

まあそれはよい。適度に人間関係が切れて、今はまた落ち着いてるってことが大事なんだ。

じゃあ今会ってない人からしたら「私って切られたってこと…?」みたいになりそうだし、私も逆の立場になったらそうなりそうだけどこれは明確に違くて、会う頻度の話。

会いたい、すごく会いたい。でも私のキャパではこの頻度(年1とか年2とか)で今は限界。もっとお金とか体力とか計画力とか自分でコントロールできる要素が増えたらもっとキャパも増えるんでないかしら、なんて思っとる。これは、ほんとに。

自分のキャパの小ささが本当に悔しい。この辺が私はあやういんだろうな。

あやうくなくなりたい。もっと自分の好きなものを真摯に見つめて自分で自分の居場所を決めて自分の足で立ってそこに行けるようになったら、あやうくなくなるかな。こういうの書けば書くほど私がこうなりたいああできるようになりたいって言うてること大体全部ひとつの方向に収束するので助かるなって思う。もうほんまに光の方へって感じ。

 

 

あとバイトの話?

この夏まで、1回生の秋から続けてたオンラインのバイトをやってた。端的に言うとオンラインのバイト苦手でした。人に聞くっていうののハードルがめちゃくちゃあがるし、いちいちストレスがかかる。あとサボっちゃう。わからないことを調べる能力が低いため、検索メインの仕事で躓く、どちらかと言えば一度身につけた知識メインで戦える方がいい、もちろんそれにしたって初期投資としての勉強はむしろかなり必要だとは思うけれど。でも向いてなかった。毎回やることが変わるのが、私には飽きがこないというメリットよりも、慣れがこないというデメリットにうつった。(普通に検索力低すぎるのはなんとかした方がいい。)

そんな私に転機が訪れる。7月末あたりに、某先輩に某図書館でのバイトを紹介してもらった。すごくありがたかった。すぐに面接を受けて、当初は10月からの勤務予定だったのだけれど、9月から入らせてもらった。すごく丁寧に教えてもらったし、職員さんも学生バイトの先輩方もみんな優しい。こんなにいい環境があっていいのか、とブラック職場あがりの人間みたいな気持ちになってた。

あと実は本がけっこう読めないのだけれど、毎回本に触れてたり見てたりしてたらなんだかだんだん好きになってきた。これがなんと実はかなりうれしい。今年トップ3に入るくらいうれしい。読めるようになったらトップ1でしたなーこれは。来年以降に期待だ!

職場の方々や学生バイトの皆さんとたくさん話せて、人間関係も増えた。それもうれしかったなあ。今年は総じて世界が広がった年とも言えるでしょう。あんだけとっつきにくかった本へのハードルが下がったことが私にとっては正直奇跡で、それに伴っていろいろするすると好きになるものが増えた、音楽とかが特にそう。

 

あといくつか旅行に行ったな。

8月の頭に総文祭に行き高校演劇の全国大会を見た、8月中頃に寮のみんなで旅行に行った、そのあとに帰省を1週間ほどして、9月からはバイト漬けだけどあいまに研究室の合宿があって三重に行った。そういえば夏の最後に高校同期と久しぶりに会ってお泊まりもした。深夜喫茶にも行ったな。

そう思うと9月がやばすぎたな。切りたくて切れてない縁に振り回されつつ、新しいバイトと前のバイトが被ってた時期で、それでも人と遊びたいからバンバン予定入れて、就活も諦め切れずに初めてインターン行ったりして(深夜に帰ってきたその次の日が新しいバイトの初回勤務日だったりして)死にかけた記憶がある。阿呆である。あほではなく、阿呆。

 

 

まあでも、7〜9月はその辺も含めて夏らしかったかもな。春と初夏に始まったいろんなことがさらに加速して回り始めて、もともと持ってたものが今の私には合わなくなり始めて少しずつ新陳代謝が起きたのだろう。

芽吹いたいろんな葉が大きく育ってった感じ。失ったものもあるんだけれど、それに気づかないぐらいの疾走感と青々しさ。すべてがあっという間でくらくらするほど眩しかった。

来年はできれば夏ももう少しゆったりと過ごせるようにしたいところ。あまりにも疾走しすぎて失踪するところだった、実は記憶があんまりないのだ、めちゃくちゃこの頃昔だった気がするんだわ…。それはそれで充実してたんかもやけど…。

こうやって振り返るの、まあまあいいかもしれんなあ。いつも「1年て、短!笑」みたいに自虐的に終わることが多いけど、めちゃくちゃいろいろあったわ。大変だった。

 

 

 

さて、最後、秋だ。10月〜12月。秋というには京都のこの季節は寒すぎるけれど。

この季節は明確に「ああこれだ」という大きなテーマというか、カテゴリがある。けど誰が見てるかわからんしあまり書かないよ、見てるのが私の知らない人だとしても少し恥ずかしいから。日記なのにね。

まあ振り返っても思い出せるでしょう。思い出せるから、かかなくてもいい。思い出せないならそのままでいい。

 

大学は後期が始まって、前期でかなり頑張ってたからコマ数も少なくて済んだ、でも依然就活には取り組めず困る、11月に研究室での報告(発表みたいなもん)が初めてありそれに向けて1ヶ月くらい死にかけてたから実はこの3ヶ月の半分くらいは記憶がない。(けっこう私は、こうキュッと視界が狭くなってしまうんだな気づき、気を付けてみよう。)

それでもこの秋が私にとっては、さむいときもあるけれど、今年いちばんあったかい季節だった。なんというか、秋晴れの日差しの様に天からふりそそぐような暖かさとか、誰かにマフラーをかけてもらったような温かさとか、いろんなあたたかさがあった。そこも含めて秋っぽい。

 

あーあと飲み会が死ぬほどあって太った。自制せず全部参加した私が悪い、来年の目標に1つ、適度なボディメイクを追加。

あ、あとなんか手持ちの写真を現像しますみたいなサブスクを始めてみた。アルバム作りみたいなやつだ。これ多分家族向けのサービスなんだろうけれど、アルバムとか現像された写真とか好きすぎるからセルフアルバム作ってる。さすがに誰かが写った写真は申し訳ないから風景とかご飯の写真ばっかりだけれど、それでも思い出せるものが多くて、すごくすてきな気分になる。ALUBUSってサービス。おすすめ。

あ、あと好きなものはかなりできたな。カネコアヤノは大好きです。あとついでに音楽をたくさん聞き出すようになったよ。バイトの影響で本も好きになったし、このまま曲と同じ様に本もたくさん読めるようになりたいね。なりたいだけじゃなくて、実行していきたいな。

あー、あとCDにハマっちゃったね、大好きなアーティストのグッズとか集め出したら止まらないぞこれは。南無南無。でも、そのくらい好きなものができたのはうれしい。より知って、より好きになってというのは、わかってよかったことだ。寮の友達にマウントを取れます。

 

あとブログですね。再開したのがこの時期です。先述の通りなので割愛しますが、バレてたのは恥ずかしかったです。逆にバレてても普通に接してくれたのみんなすごい懐広いなあという所感。

 

 

…なんか私って喋ってるばっかりだな。全然行動に移せてないじゃんなあ。話せて満足しちゃってそこで終わってるのかな。ださいなぁ。

たぶん言語化自体かなり苦手だったから、それができるようになった喜びにずっとしがみついてるんだろうな。

私、悔しさドリブンだし悔しく思ってる時間がかなり長いから、できた時にできたものにしがみつきがちなんだよな。できないことに向き合う期間が短いというか。逃げかな。

もう書くのやめようかな。

 

あー、また逃げたな。書くの減らして行動増やすぞっていうのがきっといい考え方なはずなのに。極端な行動に逃げがちなんだなぁ。あーーー…。

 

 

私、結構いろいろ失敗をするんだけれど、あんまり最終的にめちゃくちゃ引きずるような後悔はしないんだよな。結局、全部自分に必要だったんだよな、というまあ言ってしまえば都合のいい捉え方をすることが多い。おかげで壊滅的に精神がやられるような傷を負ってしまうことはなく、なんだかんだ最後には前を向いて歩いていけるんだけど。それは過去の自省から得た、自分が今持ってるなかでもかなり良い道具の一個で、とても自分が大事にしたい考え方ではある。

しかし、これを捨てなきゃいけないではないにしても、そのままでは欠陥が見えるようになってきた。もう少し磨いて鍛え上げなければならない。

つまりは、後悔しないということは基本的にあんまり変わらないということなのだ。自分を否定する苦しさから逃れる代わりに進化も手放してしまった。

過度な自己否定は毒だけれど、適度な自省と調整と訓練は成長と陶冶に不可欠だ。私は過度な自己否定ばかりで、実行ができずキャパオーバーになってさらに動けず焦りだけが募りまた自己否定に…という、実行のコマンドだけ抜けて無限ループに陥りがちのロボットだったので、この過度な自己否定と適度な自省の区別がわからなかった。なので一緒くたにしてとりあえずありのままの自分を認めよう作戦に移行したのだ、おそらく。

起きた起こしたとんでもない失敗も、今の自分に必要だったから起きたのだ、という考えはまあありだとは思うけれど、じゃあ仕方なかったと完全に割り切ると成長の種を自らなかったことにしてしまうような気がするのだ。

 

もう大丈夫だろう、もうそこまで弱くはないはず。進み方も、なぜどこで止まってしまっているのかも前よりは見える。どうしたらいいかも(やったことがないから最初は難しいかもだけれど)わかったように思うし、最初から完璧を目指さなくてもいいのだ(というか無理だ、それはなろう系だ)という言葉はひとからもうもらった。

 

 

今年すごくありがたかったのは、そういうまっすぐな言葉をくれる人が何人かいたことだ。「え?そんなふうに思ってもいいの?マジ?」みたいに、逆にびっくりするほど、とても素直な世界に足を一歩踏み込んだ気がした。というか手を引かれてた。

ああ、自分は一生行けないと思っていた「フツー」で、でもめちゃくちゃ私のとっては最高に「理想」の世界に、やっとやっと行けたのか、と。というか今までがずっとずっとクソすぎてそうすぐには行けないだろうと思っていたから、もう行っていいの?私が?ほんとに?みたいになった。もういるんだよ、と言われたから面食らったんだよな。

 

まわりくどい説明になってしまうな。もう端的に。日記なんだから。

 

 

「いまの私の周りにはいいやつしかいない」と口に出して言えたことが、どんなに私にとって意味があることだったか、あの人は想像してくれてたんだろうけれど、たぶんその100倍くらいもっともっとすごく意味があってありがたいことだったんだよな。

たくさんの素敵な人に囲まれてるそんな環境に、そんな世界に、自分がもういるんだと気付かせてくれたことが、本当にうれしかった。

あんまりにもくさい台詞で思わず漫画かと思って少し面白くて、茶化した方がいいのかと思ったけれど、相手が結構本気で言うてくれてるのが分かって思わず涙が出てきてしまった。茶化しだって本当は嫌いなのに、相手を信じるのがすごく怖くて茶化しに逃げることもいつのまにか増えてた、だからこそ久しぶりに信じることができたのも、そこもうれしかった。

普通のお店なのに結構泣いちゃって恥ずかしかった、でもそんなのどうでも良かった。

真っ直ぐに生きていたいとすごく思った。

 

その日はとうとう京都も夜になると0°Cを割り出したとても寒い日だったけれど、私にとっては10年ほどの長い長い冬が一つ終わった気がした一日だった。

 

冬が終わったって意味では春なのかも。

まあここで振り返ってる秋が10月〜12月なことを踏まえると、もうちょい他にもいろいろ振り返るべきことがあるし(いろいろ失敗もしたし)、それらを踏まえると完全に春だ!とはやっぱり言いにくい。

でもどんな辛かったこともこの思い出には正直勝てないんだよな。この秋は、この話でもう十分。わたしにとってこの一年は一番秋が美しかった。あたたかさもつめたさもあるから秋なんだろうな。今までは季節の中では春がいちばん好きだっていうてたけど(誕生日があるからです、出会いと別れとかそんな理由じゃないです)、秋になったかもしれない。起承転結の転がやっぱり秋な気がするんだわ。

そんで、それ以外のことは、これから次第なんだろう。結が来て、また起がくる。季節が終わって、また始まる。季節が巡ることは、進むことと変わることを意味するから新たな門出であることは確かだと思う。だけど季節が変わっても掌に残っているものを私は大事にしたい。変わっていくものの中に変わらないものがあると思いたい。

 

来年の振り返りは3回生の冬と、4回生の秋までになるわけだけど、さてどうなってるかなー。何が両手に残ってるんだろうか。

4回生て!院進か就職か留年か、お前どうなってんねや!早よ教えてくれ!

 

(うわー!!!それはお前がやるんだよ!!!!!!)

また視界がキュッてなってる!最悪しくってもなんとかなると思うことと、それでも目の前のやりたいことに全力尽くすことは両方大事にしろよ!

 

 

 

話がそれました。

うーん、でもやっぱりこの泣かされた言葉、私にとってすごくお守りみたいな言葉だ。忘れられない。

そういう言葉がこれからもっと増えてほしい。きっともっと増えるはず。だって話せて会えてうれしい人が去年の今頃からは信じられないくらいに増えてるから。

 

来年はどうなってるんだろうなー。

もっと前に進めてるかなー、好きな人は増えたかなー、したいこととか行きたい場所がもっとできたかなー。

それを叶える力も持ててたらいいなぁーー。

この一年でかなり前進したと言っても、今はまだ無力に感じることの方が多いのだ。いまだにひくほどキャパも小さいし、それに対処する方法も少ない。

奨学金止まったらどうしよう?、就活か院進か自分の気持ちに正直になれる?、なったところでちゃんと勉強して自分で未来を掴み取れるか?、自分の世界と自分の気持ちをもっと大事にしたい、できないか?

 

もちろん、こういう悩みに囚われすぎて今の自分の気持ちに正直になれてないと良くないとかもあるから、張り切っていけたらなと思ってる。

 

 

 

ただ、どうかどうか来年の私へ。

今のこんな私をさらにさらに置き去りにして、もっと遠くへ行っててほしい。来年のこの時期にもまたこんなふうに振り返って、またずいぶん遠くまで来たなあと、驚きながら笑いながら、少し感動とか嬉しさとかで泣きながら言って欲しい。

今はこんなに幸せだぞと、お前が今泣き叫んでる痛みはもうこんなふうに解決してみせたぞ、わはは!とあっけらかんとしててほしい。

で、それは私だけの力じゃなくって、今とその先の環境で出会ったたくさんの素敵な人のおかげなんだと、心の底から叫んで欲しい。出会った人と環境にお前は恵まれたんだ、そこはとっても誇れるんだと強く強くうたってほしい。

 

そうなるためにもがいてるし、そうなるために生きている。というか、生きてたらそうなるんだ、という根本的にかなり楽観的な人生観を持っている。

それを持てたのが去年までの冬の2年間の成果で、それを実際に実らせていく実力や考え方をさらにつけていくのが次のこの春?の2年間なのだろう。

その2年目の、だいたい最初の1年弱(9ヶ月弱だけれど)がすぎたわけだが、そう思うとかなり上出来ではないのか。

 

まあもっとうまくできたはずだ!みたいたところ山ほどあるんだけどね。

…いや正直あれ以上無理やったろみたいな方が強いしどうした方がよかったみたいなの想像できんし、そこが楽観的すぎの良くないとかなんやろうけど。それは途中で述べた、後悔が全くできないわるさみたいな話で、もっと「どんな自分になりたいか」像に寄せてけばなんとかなるんかなとは思う。

 

あ! あとは自分の好きなものをしっかりといくつも持てて、かつ人の目を気にせんくなったら最高かな!人目を気にしない、これがなかなかできない。

人の目よりも自分に素直になるというのが難しい!

あと何かを作り上げる時に人に駄作を見せるのが恥ずかしいという感が強いな!それよりも良いものを作るぞ!みたいな、もっと大事な目標を見失わないようにしたいものだ。

 

あとあと、何かに執心しすぎないように、というのも。気にすることが多すぎるなあ。

 

どうせ来年の今頃にはまた、今の自分には想像のつかない様な悩みに苦しんでるんだろう。お前は悩み症だからな。どうせなら楽しめるようになったらいいよな。それがいちばんかな?

もう多すぎる、し、ねむい。

あとで追記とかで来年の目標まとめような。

 

 

あーあと、人に読んでもらえるような、ちゃんと面白い文章書きたい。読ませる用のやつ…。自語りでもそうじゃなくても、読んでもらうことを意識してもって文章力を磨きたいよ。

 

 

長くなった。なんだかんだ今年忙しかったんだな。

だいぶ進んだ感じはするけれど、その度にできないこともわかってきて、叶えたいことが山ほどでてきたんだな。

悔しさと嬉しさが両方同じくらいあったなあ。悔しい限りはまた良くなってくだろう。

でも、抽象的に「もっと良くなる!」と思ってるだけすぎるから、意識的に具体的な目標を立てて変えていく努力をしたいよね、それができたらきっとかなり変わりそうだよなぁ、私は。がんばりたい。

 

ちょっと目標が抽象的かつ多すぎる。

精神的な課題と、実際できるようになりたい課題がそれぞれ多いので、ちょっとわけてかつ考えよう。

 

まとめたら精神的な方は「あやうくなくなるためにもっと頑張りましょうね」みたいになるんかな。また抽象的だな。

あと実働に関しては就職活動とりあえずちゃんとやろう。決めたぞ! あと目の前に他にやりたいことができた時はそっち飛び込んでみるのもいいかも。視界を狭くしすぎないこと。

 

好きなもの増やすとかは勝手にできてくだろうし、目標にすることじゃないかな。義務になるとしんどそうだ。どちらかというと、人の目を気にせんように自分の気持ちを大事にしよう。

 

はい長い。でもすっきりした。言葉を少なくして動きを多くするのも一つ目標かな。

 

それでは、2022年、おやすみなさい。はじめまして2023年。虎さようなら、うさぎ久しぶり。

 

 

追記:冒頭の伏線回収に全くならなかった。

つまんないなって自分で思わないように、可能なら他人にも思われないように、健やかにおもろくいこうな!って感じでいいか!よし!