ジカセイノプリン

memento morioka

28/n

 

恋人ができちゃった。どうしよう。

 

 

 

 

…なんでもいいので、長続きするコツとか、これはルール決めといた方がいいよとかあったら、どなたでも教えて欲しいです。

↓フォーム貼っとくのでそっちから教えていただけたらうれしいです、よろしくお願いします。

https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSfhKSDoB9G780dcSAE8Ek1fHCliK-dIMqnsSz9G0uownq3pkg/viewform

 

 

こんなこと、ここで聞くのも書くのもほんとに恥ずかしいんですけど、その人とはこの先どんなふうになるんであれ、ずっと仲良くしてたいなあと思うんですよね。

そこまで思う人、今までほとんどいなかったんです。

 

もともとその人と話すの結構楽しくて、だから関係性が変わっても変わらずずっと仲良くしてたいなあってすごく思ってて、なのでもしお付き合いしてる時に特有の気をつけた方がいいことがあれば知りたくて。

 

だから恥をしのんで伺ってみたいなーと思います。もし何かあればなんでもフォームでお知らせください。

…最初はできないことも多いだろうけど、頑張りたいんです。ここに書くだけじゃだめなんで、やらなきゃって話なんだけど。

 

 

 

 

…そもそもそんなにフォーム回答数が集まるんか? みたいなところも懸念点ではあるんですが、さておき。

気が向けばぜひ、いつでもアドバイスお待ちしております。

 

(追記:いまのところ回答数0なんですが、フォームが回答できない不備があるか、これを読みにきてる人に長続きしてる人がまじのがちで0なのか、どっちなんだろうか。

もしくはただの冷やかしか、それ以外か。今日はやけに閲覧数が多い。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…仲良くする方法が分からなくて、いろんな人に聞いてみるとか、こんな方法しか思いつかなくて、恥ずかしくて情けないなぁ。

仲良くするのが下手くそすぎる。うーはずかしい。

 

 

 

たぶん普通にすすめてくれた本を早く読んでお話しする方がきっといいのよね。

早くそっちを読み進めるのもやろう。あと映画も観よう。

27/n 祝婚歌

 

思い出したように時々言ってるが、詩や短歌が好きである。

たくさん読むというより、たまに出会ったものをずっとずっと覚えているみたいな、そういうタイプの「好き」である。

 

好きになったものはとことん突き詰めるタイプの人にはあんまり理解されにくいのだけど、それでも好きなのである。

早くたくさん消化しようとはせず、例えば嚥下することなくずっと一つの飴を喉元で転がしているような、そういう好きの形である。

 

 

私はあんまり読書だとか、作品の鑑賞だとかを大学に入るまでしてこなかったし、なんなら読書に関しては今もほぼできてない。

映画館や美術館、博物館はここ数年で段々と好きになってちょこちょこ行くようになったけれど、本に関しては研究書を渋々読むくらい。

たぶんまだ読書の楽しさが分かってないのだと思う。

 

だからこれまで触れてきた作品の数がおそらく他の人と比べても圧倒的に少ないので、振り返った時に思い出せる作品はかなり限られていて、大体が教科書で出会ったものになる。

 

 

そのなかで随一好きだったものを、最近人と話してて思い出したので、よすがとなるよう書いておこうと思う。

 

 

 

 

 

吉野弘さんの「祝婚歌」という詩である。

 

 

以下全文(いつも思うのだが、詩や短歌ってどうやれば「ちゃんと」引用したことになるんだろうかな)

 

 

 

 

 

 

2人が睦まじくいるためには 愚かでいるほうがいい
立派すぎないほうがいい


立派すぎることは 長持ちしないことだと 気づいているほうがいい


完璧をめざさないほうがいい 完璧なんて不自然なことだと
うそぶいているほうがいい


2人のうちどちらかが ふざけているほうがいい
ずっこけているほうがいい


互いに非難することがあっても 非難できる資格が
自分にあったかどうか あとで 疑わしくなるほうがいい


正しいことを言うときは 少しひかえめにするほうがいい


正しいことを言うときは 相手を傷つけやすいものだと
気づいているほうがいい


立派でありたいとか 正しくありたいとかいう
無理な緊張には 色目をつかわず ゆったり ゆたかに
光を浴びているほうがいい


健康で 風に吹かれながら 生きていることのなつかしさに
ふと 胸が熱くなる そんな日があってもいい


そして なぜ胸が熱くなるのか
黙っていても 2人にはわかるのであってほしい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

良!!!!!!!!!!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「正しいことを言うときは 相手を傷つけやすいものだと
気づいているほうがいい」

 

 

 

 

特にここが!!!!!!!!!!

 

あまりに良すぎる。うっ涙が…。

 

 

 

 

 

 

 

 

この作品は吉野弘さんが姪の結婚式に参加できなかった時に、代わりに贈った歌だそうで。

 

(そう書いてるって人がいるだけで出典をうまく見つけられなかったのだけど、確か高校の時に習った際もそんな感じのことを聞いた気がする。一応引用元は→http://poemculturetalk.poemculture.main.jp/?eid=276#gsc.tab=0)

 

 

あまりにもいい作品だからいろんなところで使いまわされているよう。

 

 

 

この作品の個人的に好きなところは、作品の名前も内容の文脈もそうだから、つい夫婦ないしパートナーに制限して考えてしまいそうだけど、別にどんな関係性においても大事なことを言ってるよなぁと思えるところである。

友人でも、恋人でも、家族でも。

 

なんなら2人じゃなくてもいい。3人以上の関係でもいいんじゃないかと思うけど、最小限の関係性としてここでは二人を想定する方が良いのかなとか思う。

 

 

 

 

 

あ〜、良い。すごく良い。

口ずさむならこの歌がいい。

 

走馬灯はこれでよろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…。

 

冗談はさておき。

 

正直なところ、好きな作品を紹介できたのでここで終わっても満足なんだけど、先ほどのような個人的なこの詩の解釈を持つようになったきっかけが明確にございまして、その話をつけたし程度にちょっと書いて、終わりたく存じあげまする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちょうど、この作品を習った高校2年の初夏あたりだったと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当時、私は(実は)演劇部に所属していて、割とガチ目で割とマジメな雰囲気の部活であった。

 

 

練習時間は馬鹿みたいに長くて、

でもそれなりに強くて(といっても演劇部の強さってほぼ顧問頼りなところがあると思うんだけど)、

 

先生は当たり前のように圧政を敷いてみんなメンブレしてて、

同期と早く辞めたいなーとかマジでしんどいなーとか日々言い合うような、まあどこにでもある風景の一つだったんだろうなとは思う。

 

 

先生が酷すぎたからか、同期とは妙な一体感が生まれ、それなりに仲が良かったのかなとも思う。同期全員が女子だったってこともたぶん大きい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

演劇部って何してんのん?ってよく言われるんだけど、大体どこも

 

①年に一度のコンクール、つまり順番がつく大会

②それ以外のいろんなとこでの定期・不定期の公演

 

を一年の間に行ってるという点で、スケジュール感は似てくると思う。②が何個あるかにもよるけど。

 

 

 

 

で、①が大きく分けると、地区大会(田舎は無い)→県大会→ブロック大会(関東とか、近畿とか、九州とか)→全国大会となる。

 

 

で、このブロック大会までが大体秋口にあるのもどこの高校もたぶん同じ。だから全国大会は次の年の夏に行われるので、大会が年度を跨いでしまうという、なんともまあ不思議なスケジュールである。

 

だから3年のコンクールには出場できず、大抵の演劇部は2年で引退というわけである。

 

 

 

 

 

 

 

で、その2年である。

 

 

私たちの代は1年の時に、たしか7年ぶり?とかに県大会を突破できなくて、その年の2年の先輩はそれをすごく責任を感じて大泣きしていたし、私たちも大泣きしていた。

 

だから次は絶対勝つんだい!とみんなで燃えていた2年の春先、先生も次は、と気合が入っていたらしく、もう私たちの台で出すコンクールの台本の初稿を出してきた。普通に早すぎる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それがなんと時代物だった。

 

しかも大正時代。

 

 

 

 

 

 

 

その理由とか、舞台の内容とかは書くと長くなるので省くけど、とにかく大正時代の女学校の話であった。

これで伝わるのか微妙だけど、まんま「命短し恋せよ乙女」とか、「はいからさんが通る」の時代である。

 

あとこの作品に携わってる時に知ったけど、カルピスが初めて販売されたのもこの頃らしかった。

 

 

 

 

 

まあそれはさておき、大正時代の女学校である。

まさにこれである。これは、「はいからさんが通る」のアニメである。

 

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矢絣模様の着物、

袴、

洋風の靴、

バカデカリボン、

 

 

 

そんで、このイラストにはなく、そしてこの後一番の問題になるのが、髪型であった。

 

 

 

 

 

本筋から逸れたが、ともあれ大正時代の割とちゃんとした女学校を舞台にするということで、コンクールは秋なのにも関わらず、たしか春先から小道具やら衣装やらとにかく多くのものを準備することになったのである。

で、その中で特に早めに周知しておかなければならなかった理由が、髪であった。

 

 

端的に言えばその時顧問の先生から告げられたのは、「全員髪をおさげができるくらいにまで伸ばせ」ということだった。

期限はとりあえず夏までを目処に、とのことだった。

ちゃんとした女学校が舞台なので、先ほどのイラストのようなおろした髪ではなく、三つ編みが校則になっている、という設定らしかった。

 

補足いらんかもだけど、おさげってのは、三つ編みのことである。

 

 

 

 

 

 

…、私たちの代は全員女子で8人。

 

この突然のお達しにも余裕だったのがたしか3人。

まあ伸ばせばいけるかって感じだったのが2人。

めちゃくちゃ青ざめたのが3人であった。

 

 

というのも、これは髪の長さによる違いである。

もちろん私は顔面蒼白組であった。

 

 

 

私はなんなら今よりもうちょっと髪が短くて、軽さを最重視して段も入れてたから、もう本当に一番終わってたのが私だった。

 

 

 

結果として青ざめた3人のうち他の2人はおさげにしなくても良い役になり、そのまま顔が白んでいったのは私だけとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

で、もうそこからが大変で、ひじきたくさん食べるやの、恥を忍んでドラッグストアでヘアエクセラレーターとかいうもの(決して育毛剤ではない)を買ってみるやの、頭皮マッサージしてみるやの、たくさん寝るやのいろいろ頑張ってみた。

 

 

 

 

 

が、そこで初めて気づいたのだが、どうやら私はかなり髪が細いらしい。量は多いらしいのだけど、それを損ねて余りあるぐらいには髪が猫毛過ぎる。

 

 

だから、もとからかなり「夏まで」という期限を考えてもほぼ見込みなしだったのだけど、そういう元の性質も相まって、おさげの長さにまで伸ばすのは、もう絶望的だった。

 

 

 

 

 

 

…でも、だとしたらどうなるのだろうか。

突然舞台に出るチャンスもなく即裏方ないし、舞台に関わる頻度が激減するところに行くのだろうか。

 

 

 

 

 

 

…最後の年なのに?

 

 

 

 

 

 

 

 

と思って、まあ諦めずにさきほど述べたような食事やら、マッサージやら、早寝早起きやら、育毛剤もどきやら、たしかじいちゃんかだれかから奪い取ったガチの育毛剤やら総出で、髪に良さそうなことは全部やった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…が、髪は伸びなかった。

いや伸びてたんだろうけど全然足りなかった。

 

余談だが、肌艶はすごく良くなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で、検査ってほどでもないけどみんな最近髪どうよーみたいなチェックの日がきた。

 

 

 

舞台監督…というか、小道具や衣装の管轄をうちの部は先生ではなく部員の誰かに割り振っていたのだが、その時の担当の某氏(ここではS君とでもしておく)に、髪をおさげにできるかチェックしてもらったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で、まあS君髪を括るのがかなりうまかったので、私のヘニョヘニョの髪でもなんとか工夫して、今思えばどうやったのかさっぱりなんだけど、なんと驚くべきことに三つ編みもどきみたいなのを作ってしまった。

 

 

 

 

ただそのなんと貧相なことたるか。細いというかなんというか、凶作の時の麦とか、シャーペンの芯とか、単に糸とか、当時部内のみんなやその他諸々から爆笑と共に散々に評されたことを覚えている。

 

 

 

 

いやそれは普通にまあ面白かったから別にそんなに傷ついてないし良いんだけど、

 

「ああやっぱりあの短期間じゃ、あそこまでやっても無理なんだな、間に合わなかったんだな、わたし三つ編みできないんだな」

 

ということはずっしり胸に沈んでいた。顔に出さんようにはしたけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で、そこにS君が

 

 

「これじゃ劇までにちゃんとしたおさげにはできないね」

 

 

とサラッと言ったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まあー、もうお気づきかもやけど、これがいっっっっちばん堪えたのだった。

 

 

 

 

 

 

うまく笑って流そうと思ったのだけど、絶句してしまい、そのまま部室から出て石庭と呼ばれる中庭の隅のベンチで1時間ぐらい座り込んでいたらしい。

よく覚えていないんだけど、そう言われたからたぶんそうなんだと思う。

 

 

 

 

でも他のみんなの讒言からしたら、S君の言うてることはあまりにまともで、あまりにそれ以上でも以下でもなく、あまりにただの事実だった。

 

 

 

 

S君は私を貶めることもせず、正しい事実を言っていただけだった。

なのに、というよりだからこそか、それが一番苦しかった。

 

 

 

 

S君も当時、「なんでこんなことでこんなに凹んでんの?めんどくさ、むかつく」と思っていたと後で教えてもらった。

 

 

そらそうである。

舞台監督として普通に事実を伝えただけなのだから。なんなら限りなく淡々と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で、その後S君とややギスギスしながら1週間ほどが経った。

 

 

そしたらある日S君が放課後の部活のとき、突然私にこの前三つ編みできませんねと言った時のことを話題に出してきた。

 

 

で、私がムスッとしてるとS君が続けて、

 

 

 

 

 

 

今日自分のクラスの国語の授業で「祝婚歌」をやって、特にその中の

 

「正しいことを言うときは 相手を傷つけやすいものだと気づいているほうがいい」

 

 

ってところを先生に当てられた誰かが読み上げたときに、あ。と思ったのだ、と言った。

 

 

 

 

 

 

そんで、

「だからあんなに落ち込んでたんだなって」

と言ってきて、

 

 

 

私もその言葉で初めてなんであんなに自分が凹んでたのか気づいてハッとしたと同時に

 

「こいつたかが国語の授業の作品でよくそんなことまで気付けるな」

と思ったのをよく覚えている。

 

こいつほど国語の授業にちゃんと参加していたと言えるやつはいないんじゃないか、とか。

 

 

 

 

 

…たぶん事実だからこそ、その裏にある悔しさとか悲しさとかをうまく言い返せなくて、黙ってしまうのだと思う。どれだけ頑張ったかなんて露ほども関係なく、淡々と結果は出てしまう。

 

はたからみればただの結果にしかすぎなくて、その結果を事実として述べること自体には何の誤りもない。

でも何も間違っていないからこそ、当たり前だというように指摘されると、そのかげに隠れた多くのものをぐっと飲み下すしかなくなってしまう。

 

 

だからこそ悲しかったのだと思う。

汲んでくれとは思わないが、そういう事情もあったんだと、せめてそいつには知っておいてほしかったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まあ、そんなこともあり、謝られた手前かまってちゃんみたいになってるままなわけにもいかないし、というかこの時点でわたし相当めんどくさいやつやし、

そのあとは私もS君に謝り倒して、

髪の毛はとにかくその後も少しでも伸ばせるようできることはとにかくやって、

 

結局本番ではS君の手を借りて確かなんとかおさげにはして、コンクールに出たように思う。

 

 

 

 

ありがたい話で、私たちは次の夏まで部活を続けることができたので、結局私のシャーペンの芯も最終的にはそれなりにちゃんとしたおさげにはなった気がする。…私の気のせいかもしれんけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まあそんなこともあり、いくつかこの時に思ったのは

 

・「正しいことを言うときは 相手を傷つけやすいものだと気づいているほうがいい」は多分まじなんやなということ

 

・恋人や夫婦に限らず、友人関係でも、というよりどんな相手だとしても、それはとても大事だということ

 

 

 

 

であった。

 

これがまとめでいいのかわからんけども、結局いまだに同期の中で縁があるのはS君だけだったりする。

 

 

 

 

あと私がパターナリズムについて気になり出したのも、高校卒業後にあの聡明なS君が頭のおかしい恋愛に身を破滅させていきはじめたからで、それをどうにか止めたかったことがきっかけだったりする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あとは、たまに会っては毎度毎度なんやこいつと思いながらも、

 

 

こいつなら完全に素を出してもええかな、

嫌われんかなとか思わんでええかな、

嫌だったら言うてくれるって信じて良いよな、

 

 

 

と思いながらそっと寄りかかって、なびく風に吹かれながらふと胸が熱くなるのは、

 

 

今のところ、やっぱりS君だけなのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そういうわけで、この詩は私の中でひときわあたたかく燈り続けているし、

 

いつ思い出してもあの頃の部活のこととか、辛かった時間とか、そういうのと必ず一緒にS君の言葉もいつも引き出しから取り出してきて、

ちょっとなつかしくて、うれしい気持ちになるのだ。

 

 

このことが、高校生活の中で実は一番好きな思い出だったりする。

 

 

 

それをつい最近また寮の友人らと話してて思い出して、あ〜ってなったので、書いておこうと思ったのであった。

 

 

 

 

…S君は元気だろうかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まあ、S君って同期の女子なんやけどな。そう言う呼び方してただけで。大事な友人です。

あとは来月S君に会いに行くんで普通にS君は元気です。ほな。

3/5(火)

起床。

昨日寝付けず、頭が痛い。

朝に耳鼻科行くことにしていたがスキップし、二度寝

 

雨が降っている。今日はずっと雨だそうで。頭痛。許さない。

 

学生相談室へ。例の如く時間ギリギリのため雨の中をチャリで突っ切る。

 

相談室のあとそのまま歯医者へ。今日は定期検診にようやく入れるので、まずは歯磨きの講習から始まる。そういう決まりらしい。

口の中の汚れを染める件の薬を塗りたくられる。私が最後にやった時は赤かったんだけど、今日のは紫で色味が最悪だった。ナメック星人みたい。

 

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もうみんなが忘れたであろうピッコロさん。

 

 

自分の口の中の汚れとか生々しくて見たくないよなぁと思いつつ終了。

 

 

そのまま今度は午前に後回しにした耳鼻科へ滑り込み。なんとか午前の診療時間に間に合った。

とにかく効く薬をくれと懇願する。先生やや呆れ顔。

 

 

薬局を含め1時には終了。今日は寒く、帰宅する前にご飯を食べないと道中で死ぬなぁと思いカンフォーラへ這いずり込む。パスタ。

サイレント値上げしてて思わず怒りが込み上げる。

 

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アサリのボンゴレだったかな。アサリの下処理とかめんどすぎて絶対にやりたくないし、かといって冷凍された処理済みのものだと解凍したらショボショボになって美味しくない。

外食は貝を選べ。

 

 

帰宅。1時半。寒い。お腹が痛い。

洗濯して部屋干し。寒い。動けない。

この後研究室に行こうかと思ってたけど無理だなぁ。寒い。眠い。

 

横になって少し休む。一件荷物受け取り。

そのあと寒すぎるのでシャワーを浴びる。まだ寒い。眠い。

 

 

夜また就活。なんでこんなにやってるのか意味わからんくなってきた。もうやめたい。始まってすらない感じあるけど。

やくたびれて終了。寒い。

 

 

終わり。ご飯を食べる。相変わらず野菜スープ。

寒い。お腹が痛い。まだお腹空いてる。

 

 

 

明日からは旅行、楽しみ。

キッズなので荷造りして早寝して早起きしよう。

 

あ、でも奨学金の手続きが…。キッズだから奨学金とか生々しいこと考えたくないんだけどな。

あれこれ心配することが増え始めたら大人になったんかなみたいな感じする。

 

なんというか、子供時代が全部大人の社会のキッザニア版みたいな感じする。責任とか金銭とかその辺がリアルガチになってくるみたいな。

 

 

 

 

 

そういえば、最近Twitter見るのがもうめんどくさくなってきて、一番は広告の多さなんだけど、二番として「なんかこいつずっと同じ話してんな」みたいなのが最近多いからだ。

この人の近況どうなんかしら、とちらっとタイムラインを見に行っても、こいつはいっつも体調悪い話しかしてないな、こいつはいっつも運動家みたいな話しかしないな、こいつはいっつも研究の話しかしてないな、という。

 

別にコンテンツ固定の集客用アカウントじゃないんだからいろんなこと喋ればいいのに、と思ったけど、多分もう同じことしか言えなくなってるんじゃないかなと思って、やや恐ろしくなる。たぶん自分ももうそっち側。

もちろんのこと、あれやこれやいろんなことを喋ってる人たちも結構残ってて、その人たちは見てて面白い。そういう人たちは大抵いろんなことに挑戦してて、見てて尊敬する。

 

 

なんというか、趣味とか好みが狭く偏ってしまうとすぐつまんない人間になりそうで怖いなあと思う。逆にいろんなことにずっと挑戦し続けてずっと楽しめる人ってそれだけでなんかすごいなぁと思う。人生にハリがある感じ。これ自体ありふれた話かもしれんけど。

なんか始めてみようかな。

(追記:チェスを始めた。歩みたいなやつの動きがキモい。)

 

 

 

 

 

 

…というかそう思うなら、そもそももうTwitterをやめた方が良い。愚痴を言うほどのコンテンツではないし、Twitterの仕様に愚痴を言うほど暇人になってはいけない。

 

Twitterを辞め、携帯を捨てよ。

外に出よう。

 

 

 

早く風呂に入れ。

2月後半から3/4(月)まで

この前ついに「え、これって日記だったんですか?」的なことを指摘された。ただのブログだと思われてたらしい。

 

ぐ、ぐ、ぐ。確かに頻度的に日記とは言えないな。

週に1度とか月に1度書くよりも毎日書くほうがハードル低い気がするんだけど、一度やめちゃうとなかなか再開するのが難しいんだよな。

 

 

もうちょっと書こうかな。

2月と3月の振り返りして今日は終わり。

 

2月

11日まで帰省。あんまりゆっくりできない。

半年に一度くらいしか帰らないと、次に会うまでにあれしようこれしようみたいな約束がいろんな人と溜まってしまい、普通に毎日慌ただしい。仕事してるみたいな気分になる。楽しいことも詰め込みすぎると良くない。

今年の目標はうまく休むことも入れておきたい。

 

 

13日

新しいバイトを始める。とても疲れる。3月現在まだ慣れない。対人的な能力、最初は本当にひどかったけど言うてそれなりにはなってきたかなーと思ってたんだけど、まだそうでもないな。

最近は誰と話してても、「あ、またもてなされてる側だな」と思うというか、気づくことが多い。そうするとギクシャクしてまたうまく話せなくなる。

多分普通にあんまりコミュニケーションが上手くないんだろうな、と思う。

 

まあバイトはバイトだし、お金もらってるんだから頑張ろう。

 

 

15日以降

いろんなメールに急かされ、就活のイベントにあれこれ出てみる。忙しさに拍車がかかって、出た割に何も覚えていない。これじゃ本末転倒すぎる。

全部でないと、と思ってすごく焦ってしまう。でも結局体力が尽きるともうどうでも良くなって大事なイベントを落としてしまうようになる。

いつも大体同じことやってるな。しょうもないこととか、別に大した用事じゃないことは容赦なく捨てていかないといけないのかもしれない。

 

 

17日

自宅で某友人らと鍋パ。チゲ鍋。お腹いっぱいでやや疲れる。美味しかった。

 

18-24日

バイト就活バイト就活バイト就活バイト。

久しぶりにめちゃくちゃやつれる。体力がない…。

 

 

25日

何にも対策する時間もないままTOEICを初めて受ける。これでもいくつか人との予定を断ったうえでなので、ややショック。やっぱり時間のコントロール下手かも。

テストの会場が某ダム女で、初めてキリスト教系の学校に入ったのだけど綺麗すぎてびっくりした。普通なら時計がかかっている場所にキリストが磔にされていて面白かった。

せめて模試1回ぐらい練習しておけばよかったなと今も後悔が抜けなくて、3月4日今日そのことを初めて人に冗談混じりに話したのだけど、そうすると「でも完璧になってから受けようとするといつまでも受けられないじゃないですか」的なことを言われて、確かにそう思ってえいやっと無理やり受験の予約をしたんだった、と思い出した。

でも対策できるに越したことはないし、次は頑張ろう。今の実力もとりあえずはわかったことだし、あとはやらないことには伸びないし。

 

27日-29日

有馬温泉に某氏と旅行。温泉とても気持ちよかった。意外と日帰りでも行ける距離なんだなと知って驚き。阪急が出してるクーポンみたいなの使えば、往復日帰り3000円で、しかもその中に向こうの太閤の湯ってところに入る券も入って気軽に行けるとのこと。調べてくれた某氏に頭が上がらない。

 

ただ、結構自分が時間にルーズな方なんだなーと自覚させられた。申し訳ないな。相手には相当嫌な思いをさせたんじゃないかなぁ、と考えてやや心労。

温泉に入るたびにあったかさとその辺の気疲れや普通に体力不足で毎回気絶しそうになっていた。というかやや気絶していた。岩盤浴かなり好きだったな。

 

総じて、有馬温泉、おすすめです。

今後行かれる人がいれば、かなり坂道まみれなので、宿までバスを予約しておくと吉。

 

反省点は、旅行の前後はどうしても普通に疲れてるので予定を入れるべきではなかったこと。

体力が問題になりすぎて全てが歯痒い。

2月終わり。

 

 

3月

1日

各病院の定期検診。美容院。金が飛ぶ。体力もなくなる。就活、就活。

 

 

2日

バイト。一度帰宅して、予約しておいた献血。400ml。献血した日はすごく眠くなるし、おなかもすく。手足が冷えるけどなんだか熱っぽくて動けない。

この感覚何かに似てるなと思ったけど普通に熱ある時の症状と同じだなー、と気付いて、薬飲んで寝た。

10時間寝るとすごく体調が良くなった。

 

寝る前に一つ就活。本当にだるくなってきた。

やろうやろうと思ったままで後回しにしてることが多すぎるのかも。でも疲れるしな。

どうにか頑張って乗り切ることが必要なのかも。あと後回しにしすぎると、1ヶ月後も2ヶ月後も、なんなら1年後も同じことで悩んでたりするので、あまりにも日々に進捗がなさすぎて結果として時の流れをすごく早く感じる。一生ってこうやってすぐ終わるんだろうな、みたいな。

逆に言えば、やろうと思ったことはすぐやって、やらなきゃなことも早め早めに終わらせて、ってしていけば、どんどん新しいことに挑戦するハードルも下がるだろうし、時間も長く感じるんだろうな。

 

まあそんなこと何百回も言われてることだろうけど。まあまあ。まあまあまあ。

 

 

 

献血はついでに血圧とかコレステロール値とか他にも色々と病気が疑われないかどうか諸々の値の測定をしてくれる。ありがたい。結果は明日わかるらしい。

 

 

3日

寝まくったので元気。午前がなかった。

昼から大忙しで月に一度の片付けやら掃除やらを終わらせたらもう夜。今日は休むことなく動き続けられたのでこれでも早い方。

もう少し減らしても良いのかも。

買い物に行った時にそのままご飯を食べて、でもどうせだからと思って自炊のための食べ物も買ってくる。

最近は野菜ドカ盛りスープにハマってて、というかそれが一番楽だし作り置きになるし大して飽きないし安いし美味しいしでずっと作り続けている。1鍋を1日2食の5日ほどで食べ切って、1000円いかないぐらいなので、たぶんこれのおかげで食費を抑えられている気がする。

 

作り方は簡単で

・にんじん1本

・じゃがいも1個

・玉ねぎ1個

・セロリ一本

・しめじ1パック

・トマト缶(カットタイプ)1巻

コンソメ3かけ

 

を、まあ言うたら切って混ぜて茹でるだけ。

細かいコツはいくつかあるけど、煮る前にジャガイモとニンジンは5分レンチンしておきましょうとか、セロリは筋取りしておきましょうとか、そんな大したことじゃないのばかりなので、気にしなくていい。

 

これを、飽きないことをいいことに、ここ2、3ヶ月ぐらいずっと食べてるんだけど、今日出た献血の結果でコレステロール値が前回より30下がってた。

ちなみに米は食べてない。野菜スープだけ。

野菜食べまくるとこんくらいにはなるらしい。

 

逆に前検査した時の数値がヤバかっただけの説あるのか。

体重は落ちてないんだよな。運動しろってことかな。

 

↑実際下がってる結果のスクショ載せようと思ったら0:00-5:00でラブラッド(献血のWebページ)見れないらしい。

あとはいくつか基準値を外れてるもの(白血球が足りないとかで、免疫が弱いゾ!って外れ方ばっかりだったので気をつけないと。やっぱり運動か?)

 

 

献血は行ける人は行ける時に多少無理してでも行っておいた方がいいと思う。

多少無理してでもというのは、体調不良でも行け!!ってことではなくて、行ける時に行こーだと一生行かないから、ある程度優先順位高めに置いておいとこーよって意味合い。なんかしょーもない自分の予定とダブったら、そっちより優先して献血行く、みたいな。そうでもしないと本当に行かなくなる。

だって普通に考えたらめんどくさいし、痛いし寒いし疲れるしお腹すくし、自分に直接的で分かりやすいメリットないし。でもそれでもやっぱり行っておいた方が全体として良いんだと思う。

 

偽善とかじゃなくて、いつか自分が助けられる時がくる可能性はまあまあ高いし、もし一度でも助けられたら(つまり輸血を受けたら)、その人はもうどれだけ感謝してもありがたさや有意義さを感じても献血する側には回れないからである。そう思うとやっぱり行っとかんとな、と。

たぶん何かしらの手術とか怪我とかで輸血してもらった後に、助かった〜ありがたいと思って献血しようとした時に、今後どう頑張っても自分はもうできないんだって気付いて「なんでもっと早くにやっとかなかったんだろう」て言ってる自分がすごく想像できる。今流行りのフリーレンの某一コマが頭をよぎる。

まあ、せやったらそんな後悔せんようにやっとくか、みたいな。

 

 

 

献血、おすすめです。なんかいい気分になるし。

 

 

 

 

 

あと祖父が誕生日だったので電話。

やっぱりすごく純粋に私を応援する気持ちで孫の成功をステータスに思ってる感がひしひしと伝わるので、嫌だなあと思う。でも悪気はないし応援してくれてるしなぁ。この人を嫌な人だなと思う自分があかんのか?とも思って悶々とする。

でももうこういうのにいちいち悩むのが一番くだらんのやなと思う。それよりも、もっと家族がまともやったらこんなこと考えずに済んだんやけどなとも思うけど、それを口に出すと理解されない人からの自分の評価が下がるのでやめておく。たぶんこういう悩みは持ってない人が多い時の方が、世界は良い方に回ってるんだと思う。

また、もしかしたらみんなそういう苦痛を感じてる上で我慢することが美徳になってて、私みたいに安易に吐露してしまうやつがしょうもないということになってるのかもしれないけど、それもそれで別にいいかな。口に出さんで済むならその方が多分いいし。三島由紀夫もなんかそんな感じのこと言ってた気がする。安易に弱みを曝け出すやつは無礼者、みたいな。耳が痛い。

 

 

…やめやめ。

まあとりあえず今年もおめでとうって言えたし、ヨシ。

 

 

なんか前に誰かに指摘されたけど、確かに私は誕生日祝うことになんか執着というか固執がある気がする。なんでだろう?

言えたらオッケーというか、安心というか。儀式っぽい側面が強い気がする。

 

 

 

 

 

3/4(月)

やっぱり今に近づくほど覚えていることが多いので日記が長くなる。事実だけにとどめておこう。

 

バイト。つつがなく。疲れる。

 

入学手続きやっと終わる。間に合わなくなるところだった。あぶねー。速達で書類提出。

なんで窓口がこんなに近いのに、一回郵便を経由せないかんのだ。

 

 

研究室戻る。色々話す。こういう時間が一番楽しい。花粉症はカス。

 

なんか疲れがどっと出て、眠たくなる。コーヒーが効かない。

 

 

 

夜またバイト。疲れる。みんないい人だな。

どなたかのお土産の、台湾のパイナップルケーキ?がとても美味しかった。台湾行きたいな、台湾。

 

 

帰宅。家でゆっくり。お風呂があったかい。

少し身支度。奨学金の手続きとかは明日まとめてやろう…。

 

夜中歌いマン(YUM)がまたうるさい。ドアを蹴破りに行きたくなる。どれだけ上手くても1時過ぎに歌うんじゃないよ!

あとサイレンもどこからか聞こえる。火事かな、乾燥してるし。

 

 

 

 

 

 

…なんか最近また、これおかしいって思うの私がおかしいんか?状態によくなっている。自分の判断を信じられないというか。なんかしんどいなと思っても、そう思う自分が良くないんかな、みたいな感じ。困ったな。

たぶん半分自分が確かに悪くて、半分はしっかり相手も悪いと思うぐらいがちょうどいいんだろう。ゼロ100にするからよくない。完全に自分が悪いと思うのも、相手が悪いと思うのも、たぶんどっちも同じくらい避けた方が良いのかなーとか思う。

 

 

終わり。

明後日からまた旅行に行くので、それまでにまとめておきたかった。おやすみなさい。

 

 

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献血でオリジナルパッケージのハイチュウをもらったので本当に久しぶりにハイチュウ食べたのだけど、美味しすぎて感動した。

 

最後にいつ食べたか思い出せない方は全員食べると良いと思います。

同じ理由でサバ缶もおすすめします。忘れた頃に食べたら美味しすぎて感動するものがいくつかあって、それをそのうちリストアップして毎回忘れた頃の楽しみにしておきたいなと思う。

2/1-2/19まで

 

やることが積もりに積もると、寝ようと思っても寝れなくなる。

たぶん平静を装って明日やるぞー今日はおしまい!と思ってても、実は心のどこかでめちゃくちゃ焦ってるんだろうな。

 

なーんかずっと忙しくて、やっぱりそれを他の人にはうまく説明できなくて、ただ遊んでるだけだと思われそう。実際やばい締め切りに追われたらなんとかなってる気もするから、本当に遊んでるだけなのかもしれないけれど。

 

でもほんとに卒論提出してから一瞬も心が休まってない。何してもどこに行っても誰と会うのも全部仕事みたいに感じてしまう。ずっと何かに焦っている。それは遊んでくれてる他の人に対してもほんとに失礼なので、やめないといけない。

 

 

今思い悩んでること書いて、そしたらちょっと寝られるかなぁ。

 

・2/25(日)にTOEIC初めて受けるのにまだ一瞬も何も対策していない。お金を払ったし、今回しくったら次また4月まで受けられないし、その間にも就活が進んでいってて、焦りで苦しい。

 

・そもそも就活を焦りすぎてる。いつ何をどうすればいいかみたいなスケジュールが結局見えてないからとりあえず目の前に来たものをゲットしようとして、それが必要なのかどうかも、そのイベントで得たものと次にやることを振り返る時間もなく、焦り続けている。

次第にやる気も削がれていく。そらそう、だって進んだら実感ないまま溺れてるだけだもの。

 

これは3回生の時もそうだった。ずっと焦ってたのに、何もできてないみたいな状態に一度陥るともう抜け出せなかった。あれが怖くて焦ってるのにまた動けなくて、同じことを繰り返しそうで、でも同じことを繰り返しそうだってなった時にどうすれば繰り返さずに済むのか、人生で学んだことがないかもしれない。

 

・人と会うのがめちゃくちゃ苦である。これは今単に疲れてるだけだと思う。

 

・来期バカみたいに忙しそう。バイト3つ、授業5う、就活、発表…。この前新しく始めたバイトがかなりネック。慣れるのにも時間がかかるし一回のシフトがクソ微妙な時間帯で午前にも午後にも響く。私のこれから2年間の本業は学問なんやが?

金はいらんからバイト辞めさせてくれ…。始めたのは私なのだけど…。これも、本当に無理だったら早めに辞めるか減らすか相談しよう、無理だし。紹介してくれた子には悪いけど。

たぶん相当体力がないのだろうな。いやそう言うなや体力つけろよ笑、みたいに言われそうだけど。ないんですよ。ガチでない。バスケ部に入ってたけどほんとにマラソンもドベから5番とかだった。もちろん試合には出られてないけど、それにしてもあんなに走り込んだのにそんなもんなのか、と自分が一番驚いた。もうそういう体なんやったんやと思わせてください…。

あと脳の体力もない。人より理解に時間もかかるし、一個のイベントにかかる時間もそこから回復する時間もアホほどかかる。もう無理である。

 

自分の人生なのに、ずっと自分の人生じゃない。

最近の話じゃなくて、少なくとも中学くらいからずっとそう。

一旦待って欲しい、休憩してもっかい動き出せるまで待ってほしい、とずっと思っている。ただその休憩の時間も平均のそれより大いに長いのだろうな、悔しいな。だから満足な休憩を取れないまま、ずっと走っていて、やっぱりとても苦しい。

時間が過ぎるのが早い。

 

・頭の中のスケジュールが一向にすっきりしない。結局何をいつまでにどこまでやったらいいかが多すぎて、どれも拾おうとして一つも指にかからず、全てを失い続けてきている。とりあえず春休み入ってからはずっと。

もうあれこれ色んな人の顔色伺って、機嫌とって、予定組んで、楽しめるよう頑張って、家に帰って死ぬ、みたいな生活をずっとしている。私はたったの1人も、心から好きな人間はいないと思う。

人生でいたことはないと思うし、今後も顔色伺うことをやめない限り、つまり対等な気のおけない関係にならない限り、誰のことも許せないと思う。そしてそういう人間が今までいたことがないんだな、と最近気づいた。嫌われてもいいからそれより素で相手にぶつかっていく、みたいなことを、したことがない。そんで、それができないから開き直ってるのかもしれないけど、相手に合わせられてる自分が偉くて相手がバカだから仕方ないとさえ思ってる、気がする。

完全に自分ができないことを責任転嫁してるだけだから、これはよくない。変えないといけない。

 

ほんとに、自分ができること増えれば全部解決するのになーと思う。だから余計悔しい。

他人がポカやらかしてることなら、まあ自分にはコントロールできんかったことやし、しゃーない、次、と思えると思う。雨が降ったようなものだ。雨に対しては怒れない、怒っても仕方ない。

 

自分になんとかできたはずのことを、たとえ体力や時間的にほぼ不可能に近かったとしても、逃してしまったときに、一番悔しくて悔しくて苦しい。

そんな考え方辞めればいいと思うのだけど、ほぼ不可能なこと、自分になかなかコントロールができないからこそ自分に責任があるとか自分の努力でどうにかなると思われないことにさえも怒って、悔しがって、ここまできているので、この考え方を捨てるのは、とっても怖い。

 

こういう悔しがり方をしてなかったら、今頃わたしは適当にそこそこ賢いって言われてる地方の大学に行って、四年で卒業して、地元に戻って就職してたと思う。私はそういう生き方が、もうはっきりいうけど、ボケほど嫌いなので、今ここまで来れていることを喜ばしく思うし、そのために必要だったこの考え方が悪いものだとか不要なものだとはあんまり思わない。

 

…こう言うとすぐに、こういう生き方を嫌うのが失礼だ!おかしい!みたいに言われるんだろうけども、そんなこと感じる人は、もう一生「教育の地方格差」みたいな話せんといてほしい。

地元で何にも機会を得られず、外に出ていくなんて発想もなく、出たとしても特に違和感もなく地元に戻ることを選択する彼らも当然幸せだと感じるだろう。なぜなら格差そのものの存在に気づいていないから。

でもそういう生き方に対して、他にこういう生き方もあるよ、と若いうちにキャリア設計の場で情報提供するのが大事だと言うんやったら、やっぱりそういう閉鎖的な生き方を肯定してはないんやろ、と思う。少なくとも積極的に選んだ人ではなく、情報の欠如ゆえにそちらを選ぶ人の人生に対しては。

 

なんか、地方格差みたいな話してる人が都会出身なの、めちゃくちゃ違和感だ。地方で生まれ育った人はそんな格差知りもしないんよな。穴の中しか知らない人は地上を知ってる人から梯子を下してもらっても、それがなんで必要なのか、なんならそれが何をするものなのかさえわかってないんじゃないの、と思う。

なのにそこに、「いやそれ格差ですよ」って無いものを教えに行って、欠如を知らせて、やっぱりそれって何も知らなくても幸せだったらいいやみたいな人生は幸福だとは考えてないんやろ、と、思う。だから、ちょっとそういう過激な発言をした途端にそこにだけ噛み付いてくる人が嫌いなのだ。

 

 

これもはっきり書くけども、田舎の、それも女子が、少なくともこういう場所まで這い上がってくるには、ぜんぶ殺すぞ!!!みたいな気性でないとなかなか無理なんじゃないんかな、と思う。

 

 

なんというか、とても自分は性格が悪いと思う。

この大学に来て一番思ったのは、みんなびっくりするくらいいい奴らばかりだな、ということだ。

人格者が多すぎる。

もっとクズがいっぱいいてほしかった。少なくとも地元はそうだった。だからみんな遠慮なく嫌えたのに、自分よりすごい奴は容赦なく妬ましく思えたのに、ここではみんな私より頭が良くて、しかも格段に性格も良かったから、憎みたいのに憎む私の方が圧倒的に悪者で、なんでこれで私が悪者にならないといけないんだとよく思っていた。

 

育ちの良さと頭の良さと性格の良さに相関があるの、グロいよ。当人たちには何にも責任あるものではないし、誰も何も悪くないけど、当時の私からすれば彼ら彼女らと話している時は、もはや身分というか階級が違う人を相手にしているみたいだった。

それが入学当時の印象。あー、そんな世界があったんだ。知らなかった、教えてくれなかった、誰も。みたいな。まあ教える必要もないのかもだし、というか一瞬都会に出て地元に戻ってきて定住してる人たちからすれば、教えられるものでもないだろうし。

さておき、当時の私といえば、そういう上流階級の人たちの中に突然ですカッペの状態のまま放り込まれたような印象で、アイデンティティがクライシスに陥ったし、同時に途方もなく彼らに憧れたのであった。

どうにかして自分もそっち側、つまり貴族になりたい、みたいな。

 

 

というようなことを思い続けて4年。

あれこれの、みんなが知ってて私が知らないことにぶち当たり続けて4年。

 

莫大な時間をかけて色んなことを調べて覚えて、反動で莫大な体力と時間を浪費して、その回復にも莫大な時間を弄して、やっとそれなりーに当時上流階級に見えていた人たちに少しずつ近づけたんではないかなというぐらいに、話が通じるようになってきた。

代わりに、帰省した時に家族や地元の友達と話が合わなくなってきた。

 

つまりそういうことだ、地方と都会の格差ってのはそういうことだ。どちらも選ぶなんて無理だ。二つの間に絶対に橋はかからないと思う。

 

就活を始めて、というかまあ大学に入ってからか、ゲンナリしたのは、やっぱり同じぐらいカッペ出身のやつ、特に女子に限ればもうほとんどいないなーということだった。

いま受けてる就活のあれこれを見てても、特に難しいとこ狙ってる学生が集まる場になればなるほど、都会生まれ都会育ちでいい暮らししていい学校に行って人柄も優れていて環境も特段問題なし、そのまま大学では留学、いえいえそもそも高校までに留学してました、帰国子女でした、英語が話せます、外国人の友達がいます、趣味ももちろんのこと複数あります、家?もちろん家賃は親持ち下宿一人暮らし、さあ今から就活するぞ〜!みたいなやつが多すぎる。いい加減にしてくれ。そんでそれがトップ層の就活イベントに行けば行くほど多すぎる。いい加減にしてくれ。グロすぎるだろ。

結局そういう機会があるような環境で育った人間が順当にチャンスを掴んで実りを得てトップ層に来れてるなんて、ただの再生産じゃないか。

なんでそれで地方格差を埋められると思ったんだ。格差の下側を知ってる人間がなんでこんなに少ないんだ。これおかしいと思ってるの私だけなんだろうか。

 

でもそういう場でも作らんと、そもそも優秀な女子さえ出て来れんような社会なんかもしれない。とりあえず再生産バッチこいだとしても、女子が出て来れるような土壌を作るのが最優先なのかもしれない。そうしたらそのうちだんだんと田舎っぺも上京のチャンスを得て大躍進の一途を辿るルートもメジャーになってくるのかもしれない。

無粋だとは思うけど、この方法しかジェンダーギャップを埋める方法がないのかもしれない。

そういうもんなんだろうか。

 

 

まぁ、なんというか、やっぱり自分の生まれ育ちに関してはかなりコンプレックスが強いんだろーなー、と思った。まああんまり望ましいものやとは思うけど、他人にやいのやいの言われたくはないな。こういうコンプレックス、そりゃ持ってない方が良いとは思うんだけど、持ってない方が「偉い」とは、考えたくないものである。いやー、しんどいしんどい。よくないわね。

 

 

 

目下の思いは

・予定全部消えんかな、と(というより今後の予定は楽しみなものの方が多い。これまでのやつの方がイライラしてた)(もっといえば私にもっと体力がありさえすれば、予定が多くてもこんなに相手を憎むこともなかっただろうので、私が悪い)

・バイトうまいことやめられんかな、と

・もっと強くなりたいな

 

ということだけ、おわり、ねる。

ちょっと疲れすぎだな、ほんとに。休まないと。多分死ぬ。

 

〜1/31 1月総まとめ

ぼんやりしてたら1ヶ月が過ぎた!!!!!

一番あっという間だった。こわやこわや。

 

とりあえず月を跨ぐ前に何で忙しかったかとか、何してたかとかだけまとめておこう。

 

 

・年明け〜1月10日前後

ひたすら卒論を書いていた。ギリギリ提出。呆れ。

構成が甘いなあというところと、読む文献をどうやって決めるかがそもそも弱かったなという印象。

 

・1月10日〜20日

疲れ果てて少し休む。1週間ほど休みと遊び。そのあと溜めてたタスクを消化していく期間に。

 

・1月20日〜30日

休む暇がなかった。本当に。何をしてたのかと言われると、なぜかわからない。というより、詳細に言えるのだけど、なんでそれにそんなに時間がかかったの??という印象。でも実際にやるととんでもなく時間がかかる。

頭の中での印象と実際の結果が一致してないと、できる以上のタスクを詰め込んで消化しきれず次の日、また次の日へ…と持ち越し続けるはめになる。

 

実はこれがとんでもなくメンタルに来て、久しぶりにメンタル的な問題でこの辺りで一度泣いてしまった。最近あんまり泣かなかったのにな。

実際のところじゃあその時間がかかったというのは何をしていたのかというと、各所への連絡、申し込み、スケジュール立て、ちょっとした買い物、などである。

人よりも時間がかかり過ぎているのかというと、たぶんそうでもない。なんなら早い方だと思う。単に多すぎるだけみたい。実際に学生相談室の先生に、忙しすぎた時期のタスクを見せたところ、多すぎると言われた。

たぶん今しなくていいものとかいらないものが結構あるんだけど、そういうのを「卒論の後で!」と言って全部後回しにしていたから今こそ終わらせたい!という衝動に駆られて走り回っていた。

 

でもそれを全部やろうとすると3週間ほんとに潰れるぐらい忙しかったようだ。日記もつけられなかったし、記憶もあんまりない。雑事をやりきるだけでそんなに多くの時間を使ってしまったということ、そのせいでやるべきことが疎かになっていたということで今も心がチクチク痛んでいる。後悔と、やや「じゃあどうすればよかったんや」みたいな苛立ちかなぁ。この期間の反省点というか、問題点は

 

・優先順位をつけられていない

・小さな雑事を全部終わらせてしまってから大きな用事に取り掛かりたい(小さいものが残ってると気が散る)

・単純にやることの数が多すぎる。

・のに、人と会う予定もぽこぽこ入れてしまっていた

 

だったのだろうかな。

どれも大事だと思って全部取ろうとして、一番上の一番大事なやつが疎かになった。苦しい。でも今までそうじゃなく一番上のやつを最優先でやってても苦しくなったからやり方を変えただけなので、特にそれ自体は間違ってないんでは?とも思う。

 

どうしたらいいんだろう。全部は拾いきれないから、ここまで忙しかったらさすがに何か捨てるべきだったんだろうけど、どれも大事だから捨てられなかったんだよなぁ。どれも大事というのがおかしいのか。そうなると優先順位をつける練習が必要なのだろうか。

うーん。次の相談室で話してみよう。

 

 

 

という感じで1月が終わった。

よく某先生がメールの返事で忙しそうにしてて、メールの返事ってそんなに時間かかるんかなと思ってたけど、あれは多分マジだなと今回のことで思った。しんどいわ、人との連絡。会って話せば一瞬で済むことを、定型句を調べてまわりくどく書いてあれやこれや気を揉んで30分かけて送るなんて大変である。そのくせあまり進捗がある気がしない。最悪のタスク。

メール文化、流石にもうちょっと便利な方に進化してほしい。

 

 

やりたいことが悉くできなくて、それが一番しんどかった。読みたい本をあとまわし、行きたい場所を後回し、タスクに追われて人との予定もしんどくなる。それだと何のために生きてるのか分からなくなる。てめーの人生は仕事かよ!って。

 

 

 

この手の失敗をやるたびに直そう直そうとして直っておらず、23年間ずっと同じ失敗をし続けている。さすがに変えたい。なので2月は…というか、今後の人生でもう同じことしたくないので、今年の目標は優先順位を間違えずに仕事をこなすこと、余暇ややりたいことに割く時間も納得いく程度には十分に取ること(一時的に取れなくても当座の予定が落ち着いたらちゃんと休みを取ること)、本業(勉強)を忘れないことの3つにしよう。

 

でもこのままだとアバウトなので、たぶん何ができたら達成なのか分からないからできないと思う。

週◯時間取るとか、そういう目標にしてみよう。これも反省点を生かしてのことである。達成できたかどうかわからん目標は立ててないのと同じ。気概では成長の指針にならへん。

だけどその目標立てはとりあえず明日に…。

 

 

久しぶりに日記書いたら切れ味が悪くなっている。

ぐや"じい"。継続を心がける。

そうそう、日記も何が何でも毎日ちゃんと書くこと。つけることで振り返りができるのだし。

 

 

 

 

卒論通ったのかなぁ。それが不安で寝付けない。

明日は早起きして、散歩して、買い物と洗濯してから、研究室行こう。

この午前のタスクが多いのも問題なんだよな。早起きするしかないかしらな。

 

 

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試問の時にいただいたお菓子。美味しかった。

 

 

 

 

 

 

 

26/n 辞世の句

 

冬は卒論※1

 

やうやう蒼く冷めゆく顔色

 

少し途切れて

消えかかりたる生命線※2の

 

細くたなびきたる※3

 

 

 

 

 

※1 「レポート、試験、単位」など各々が危機に瀕する単語に任意に置き換え、自身の現状とリンクさせることで没入感を得ると良いとされている。

 

※2 「社会適合性、周囲からの信頼、未来への希望」など、シクった場合に閉ざされるもの、また現在進行形で消えかかりつつあるものを当てはめると良い。

ガチ感があればあるほど良いとされている。例えば「親からの仕送り」、「就職先の内定」など。

 

※3 しかしそれらの幸福があるがままに目前で消えゆくことをよしとせず、顔面蒼白になりながらも一縷の望みをかけ生き抜こうとする意がこの一行によく現れている。

しかし結局のところ、たなびききったか途切れたかは本人のみ知るところとなる。たなびききってほしい。