ジカセイノプリン

memento morioka

1/4(水) 日記は暇なら続けられるなあ

起床、8時。叩き起こされる。

 

というか高校までずっと叩き起こされてて、自分が怠けた態度や良くない姿勢をとっていても誰かがどこかでセーブをかけてくれる、止めてくれることを期してしまってたのだな、と今更ながら気付く。

これすごく軽く書いたけど気づいた時けっこーショックだった。うわって。

あー、自分で自分を律さないと誰も助けてくれねんだわ当たり前だわ、だからこその自由なのに、などと思い始める。いかにぬるま湯にいたのか、気づかなかったね。今気づいたからよし。

 

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↑サムネ用に最初にあげておく。家の近くのトンネルの壁に描かれてた「終」の字。なにが「終」なのか、何のために書いたのか全くわからん、やからおもろい。

 

 

朝、整体。腰が痛い。少し楽になる。

昼前、友人と会う、一鶴に初めて行く、美味しい。

 

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↑骨付鳥っていう、丸亀のご当地グルメ。これは絶対ビール合うだろうなあと思って頼む。予想以上に美味しく飲めた。ビールが美味しく飲めたらまずいんだけど…(飲酒に歯止めがかからなくなるので)。

 

そのあと宇多津に移動。TSUTAYAとスタバ。このニ店は仲がいいのかな、くっついてるとこをよく見る。

 

その後帰宅、電車。海が綺麗。

家に着いてから改めて海に遊びに行く。綺麗。

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↑ほんとに綺麗だね。

 

やっぱり今日も瀬戸内海は水平線が見えませんでした。

 

…。

 

わたしがこのフレーズを言うときは大抵塞ぎ込んでるときです。ドラマ「Nのために」を観てくださいとしか言えない(ネタバレになっちゃう)のだけれど少し書くと、これ前も書いたかもだけれど、「瀬戸内海は水平線が見えない、だからいつかこの島を出て水平線を見に行く。」と主人公が決意するシーンのセリフなのだ。

この水平線が見えないってとこ、実はいろんな意味が込められている、と個人的には思っている。

 

ほんとに、ドラマで観たい人はたぶん2話か3話めなので観てください、その方が早い。けど一応書く。

基本的にうろ覚えなので間違ってたらすんまへん。これも見直さなきゃなー。

 

 

まず基本的にこのドラマ、かなり辛いし暗い。覚悟してください。

舞台は瀬戸内海の小さな島、そこで主人公はどちらかというと裕福寄りの家庭で家族仲良く暮らしていた。が、ある日父親がもう我慢の限界だからこれからは好きに生きるんだ!と暴走。

愛人を家に連れ込み、逆に主人公と母親を家から追い出してしまう。突然家庭と住む場所を奪われる主人公。

 

また、実際捨てられてもしょうがないくらい母親も毒親。家を追い出されたあと主人公と母親は二人でそれまでとは一転小汚く狭い部屋に移り住むことに。で、母親は父親の収入に頼りきりだったので生活能力皆無。

仕方なく主人公がアルバイトなり新聞の詰将棋かなんかの懸賞なりで生活費やら大学のための資金をあくせく稼ぐ(この懸賞ってとこがなぁ、もうなぁ…。高校生の無力感と、それでも必死にお金集めようとしてるアイデア感が良くて良くて…)。

が、その資金も浪費癖のある母親に実はジャブジャブ使われてることが発覚。「誰か、助けて…!」といいながらその家を飛び出すシーンは正直ドン引き。

(ちなみにもっと最高なドン引きシーンがあって、それは見てのお楽しみ。むしろ誰か見てどこがそうか当てて欲しいなんて思ってるが、ならちゃんと見てもらえるブログで書くべきか。)

 

 

そんななか、彼女が生きている狭い世界の中で共通の趣味があり唯一の理解者だった友人がいる。

その友人との会話中に「瀬戸内海は島が多くて水平線が見えないんだって。だから私はいつかここを飛び出して水平線を見に行く。」という台詞がある。

 

 

もうねえ、すごくないですかこれ。

彼女の生きていた、希望の全くない閉塞的な世界観を、四方を島に囲まれて自由の象徴たる水平線が隠された瀬戸内に例えるこの描写力よ。

そして、その水平線を見るために、いつかここを出ていくんだという彼女の決意がまたよい。

 

鬱屈とした現状と、それにも屈さずそれをいつしか脱ぎ捨てて別の世界に私は行くという力強い意志を感じる。

 

私も正直大学に来るまでの地元時代はまあまあ地獄だったけれど、彼女ほど地獄を見ていないように思う、し、地元の海の景色はかなり好きだ。

それでもやっぱり、実家が嫌いなこととか、田舎の価値観ボケカスと思ってることとかに起因する地元嫌いはしっかりあって、帰省するたびにどうしてもそれを感じて、やっぱり私はここから出たい、出なきゃ、と強く思うのだ。

 

美しい瀬戸内海と島山の景色に対する愛慕、クソみたいに狭い世界と閉塞感に対する呆れと静かな怒り、そしてここを飛び出していくんだという希望と強い意志、そんなあたりを胸にしながらいつも「瀬戸内海は水平線が見えない」と呟いている。

まあいろいろ書いたけど、基本的には嘆きです。

 

 

ちなみに「Nのために」のストーリー自体はこっから旧直下して以降もずっと辛いのでまたぜひみなさん見てくださいと言ったところです。

ほんまに「誰か助けて…!」って感じ。でもストーリー全部知ってた上でもまた見たい。そんくらい良い作品なのは保証する。

 

 

 

 

 

はいそんなところで、この度もまた瀬戸内海に水平線が見えないことを嘆いた原因について話そうと思います。誰が見てるんだかこんな話。

(マヌケが昨日見つかったのでそいつか、という心当たりは一人あるんですが。お前だよお前。)

 

 

以下かなり愚痴っぽい。

電車を降りた駅からは祖父に迎えに来てもらった。んだけど、実はまあー、祖父が嫌いで。

 

適当で不器用で面白くない会話、逆に私が何を言うても聞かない態度、自分の見栄のための私に対するアドバイス。何かちょっとでも反論したらすぐにキレ出して、その皺寄せを私ではなく祖母や母がくらってしまう理不尽さ。

 

言うても普通程度には情が湧くし、この夏に脳梗塞で祖父が倒れた時にはかなり心配したしお見舞いにも行ったし手紙も何枚か送った。でもやっぱり話すとめちゃくちゃ苦手だなーとなる。

 

まあ端的に言うと「そんな最高学府まで行っておいて落ちぶれたら親戚や地域の人に何言われるかわからんから安定した職(祖父の中では公務員らしい、しかも町役場、笑)につけ!」と言われた。

前置きとして「あんたがどんな道選ぶのも勝手やけど」と言われた上でそんなこと言われたので流石に腹が立って、「そう思ってるんやったらその後の言葉は全く要らんのやで」と言い返すとブチギレられた。

めんどうざい。くたばりあそばせ。

 

 

私がこの大学に来たのは私が来たかったからで、それ以上でも以下でもない。社会責任とか考え出したら腹立ってくるのもその辺由来である。

なんで自分の選択肢に自分以外の責任対象が出てくるんや。勘違いするな!ボゲ!!!と言いたくなるところをグッと堪えてじいちゃんがいなくなった後で大声で喚き散らす。(私は嫌いな人間が多いのか、結構人を見下している様だ。)

 

でも同時に、今回の帰省でちらりと母校に顔を出した際、院進へへ悩んでるんすよねえへへ、みたいなことを相談すると当時かなりお世話になった先生から「あなたの環境は正直うらやましがられるところだ、そしてあなたは勉強したいと思っている。なぜやらないのか。そしてそれを世間に還元すべきだよ。」と言われたことを思い出す。

 

うーん。世間に還元すべき、か。よくわからん考え方なんだよなあ…。

ノブレスオブリージュってか? 

自力で精神状態が貧民からノブレスになるまで這い上がって来れたんかと思うとかなりうれしいけれど、そこまで頑張ったのに今度は急に「義務やで ^^」と言われるのも腹立つんじゃこっちはという、いささかノブレスには程遠いものを感じてしまう。

当時苦しかったのを全く助けてくれなかった周囲というか世間に、何のための恩返しをしなければならないんだ? と思ってしまう。誰も何にも助けてくれんかったやろ、わたしは自力でここまで来たんじゃって正直ちょっとだけ思ってる(奨学金いただいている企業様だけには恩を感じているが)。

でも、そういう「感謝し還元する精神」まで身につけられてこそ初めて心からノブレスになれるのだろうかな。

憧れるなあ。

 

 

 

なんちゅうか、これは今となってはもうどーーーーでもいいし、大したことじゃないし、私の我の方が実家の総意よりも強かったため今ではあまり言われなくなってきたのだけれど、

まあ実家がクソ田舎で、考え方も古くて、

 

「女の子なのにそんなに賢いなんて云々」とか

「大学行くんな?女子なのにあらあらまあまあまあ笑」とか

「早く公務員になりなさいよ、安定が一番」とか

「女の子なんだから早く良い相手見つけないとねえ、年齢が勝負よ」とか

「女なんだからやっぱり地元に戻ってくるんでしょ?」とか

「地元の大学行くんじゃないの?どうすんの?」とか

 

言われるたびに「はは、笑(黙れこの猿ども)。」とか思ってた夏油みたいな時期も確かにあった。今もちょっとそう。

それに、結局こいつらのアドバイスに従った結果の私の人生に対してこいつらって何も責任とってくれんよな?舐めやがって、とか思ってガン無視してたら何も言われなくなっていった。

 

中途半端に何かできると「あらあらまあまあ笑」と揶揄してくるやつが(実際家族だけではなく中学までは周りの友人とも呼びたくないクラスメイトたちも軒並みそうだったのだけれど)たくさんいたのだけれど、ちゃんとクラスで1番になったり、ちゃんと進学したり、ある程度のラインを吹っ切れると、もう誰も何も言わなくなっていった。

というか手のひらを返して応援してきたりした(殺すぞ)。

 

 

要は、中途半端だとハエがたかりますがそれは中途半端だからであって、一定の基準を突き抜ければもう批判する者はいない、ということなのだろうな、ってこと。

あー、批判っていうのは以下略伝われ。

 

口が悪い。酒を入れてるからか。

酒のせいにするな!

お前は元々死ぬほど口が悪いだろ!!!

 

 

でもまあ中途半端だからって「女だから」という理由だけで批判されてヨシとは思わんけど。

 

 

 

でもたまに、たまーに、ほんとにたまーーーーに。

ああまじで女は勉強なんかしなけりゃ良かったんか?

とか思ったり、せんでもない。

 

女になった以上、一生バカでバカでバカで(それは実際の知識量や聡明さもだけれど、向上心のなさというメンタル的な意味でも)いつづければ、こんなに苦しくなくって良かったんかしら?

 

上を見るから今いるとことのギャップに苦しむ、じゃあ上さえ見なければいいし、上の存在を知ることさえしなければ、こんなことにはなってない?

 

 

無知で蒙昧でそしてその自覚さえもなく、

実は知りもしない天上の世界があることの想像さえもできず、

実は目の前は暗闇で足元の薄氷とその下に迫る地獄にも予想ができず、

実は天界行きの梯子が目の前に降りてることにも気づかず気づけず気づかないふりをして、

選ぶ側にはなれず一生選ばれる側のまま振り回されて弱者のまま、

メディアや権威に振り回され続けて確かな知識を頼りにあるべき道を進むこともできずに、

か弱く細く生きてけば良かったん?

 

…なんて思ったりもする………

(私はかなり地元嫌いなのでこういう生き方を脳死で選ぶ人たちをかなり毛嫌いしているためこんな書き方をしている。いやいや、そういう生き方も悪くないと思ってますよ、とよく言うてるけど、じゃあ自分それ選べましたか? って聞かれたら、無理だったからここにいるとしか言えない。八方美人すぎるのも良くないんやかね)

 

 

 

こともなきにしもあらず………。

 

 

 

 

 

なんて!!!!!!!

言うと思ったか!!!!!!!!

一生言うてやるか!!ボケ!!!!!!!!!!!

 

 

というスタンスで基本生きてます、という話でした。おわり。

 

 

まあこの考え方もあやういよねえ、疑い続けよう。

自分を疑い続けることでしか自分は正義たり得ないよ。BLEACH44巻、巻頭ポエム参照。東仙…。

 

 

 

それはさておき、祖父の妄言に対しては言い返さず無視しとくのが一番賢いんやで、と他の家族からよく言われるし実際に私以外の家族全員はそのスタイルなんだけれど。

なんだろうなあ、そんなこと言われて確かに腹が立ってるのに言い返さないのが自分の魂に対する一番の侮辱に思えてしまうんだよな。

 

「黙ってるの?このまま? 一生?」と自分に対して問いかけたが最後コンマ1秒くらいでもう言い返している。

 

 

私だけは、私だけは自分の気持ちを守らないと。

侮辱に逆らわないと。気高さと誇りを抱き続けないと。

 

でないと、誰がお前の味方になってくれるんだ。

誰がお前以上にお前を想って怒ってくれるんだよ。

 

 

…という気持ち。

 

 

もともとこういうのずっと言い返さずに抑えてきた10年間くらいがあって、やっと言い返せる様にしたのだ。これは何にも悪いと思っていない。

ただこのやり方は、どうしても利口ではないし、不器用だと思う。

だってつまりはレスバだから。

うーん、良くないかも。

 

 

あと院進するかも〜と話したら親戚一同からそれとなく詰られる。特に祖父母から。

黙れ人生の3軍どもめ、などと思ってしまう。あんまり当時から変わってないな。

 

とはいえ、弟からもそれとなく詰られたのはショックだった。

君ももういっぱしの大人なのだな(しかもどちらかと言えばマトモ寄りの)。

 

親戚に院行ったやつが一人もいない家系だとこうなるのか。まあ、一人目はどこでもそういう憂き目に遭うのだろうな。

 

 

まあー、それでも一応向こうにも言い分はある。ふらふらしてるように見えるのである程度詰られても仕方ないのかもしれない。

でも、とりあえずの見栄と体裁のための安定を自分ならまだしも他人のために作り上げるの本当に虚無でしかないからいい加減にしろよという気持ちになってしまう。

 

尖ってんなあ私、うぐぐ。

 

 

あーあと弟が意外としっかりしてて、そんでまあ面白いやつだった。ああ君ももう社会人なのだな、と思った。えらいなあ。

話してる途中で祖父が割り込んできて大喧嘩になったのだけが最悪だった。

 

すまん弟よ。ヘアケアの話とか運動の話とか楽しかったよ。またよかったら遊びたいなあ。

 

 

そんな感じ。喧嘩して無駄に疲れた。風呂入ってやることやって明日はお偉いさんに会って、帰京、そのあとバイト初め。

 

 

 

…。

 

途中で海に寄った時も思ったけれど、実家にいるのにいつも「帰りたい」とどこか思っている。

より正確にはきっと、「もっと安心できる場所に行きたい」という気持ちなんだろう。普通はそれが家になるはずなんだけれど、家がそうでないと、家にいるのに帰りたいという症状になるのだと思う。

 

 

絶対的な安心感が欲しい。

ずっとずっとそう思っている。

 

身近な人がそうであって欲しいけれど、結婚でもしない限りはそうならないのかもだし、結婚してもそうなるとは限らんだろう。

それは親を見てももう十分というほど理解できた。

 

どちらかというと結婚自体よりも、「この人となら結婚したい」と思えるぐらいまで誰かと信頼し合える関係になること、そんな関係を築ける誰かに出会えること、かつそんな人とそんな関係を築き合えること、の方が個人的な理想ではある。

 

 

 

海を見てると一番、帰ってきた、という気持ちになる。一番心が安らぐ。なんでだろうな。

 

…。

 

たぶん、ずっとここにあってくれるって信頼感が一番強いからだと思う。

自然って、実際に金銭的な援助をしてくれるわけでもなければ、話を聞いてくれるわけでもない。そういう意味では生きてる人間より遥かに無力で実的な役には立ってないのだ。

 

でも、やっぱり海が一番落ち着く。のだということが今回の帰省で分かった。それだけでも良かった。

 

 

帰りたい、というより、還りたい、のだろうか。

少しマイ・ブロークン・マリコを思い出す。

 

 

 

 

ポエムっぽくなってしまった、いつもそうか?

 

やることやる。寝る、おやすみなさい。

 

 

追記:

好きな人間(信頼できるとか、話したいと思えるとか、辛いことを互いに相談するなど頼れるとか、いろんな意味で)が正直なところ高校まで公私ともに1人もいなかったこと、帰りたいと思える場所がないこと、などはかなり根強いコンプレックスになっているようだ。

 

前者は少しずつ治ってきてるが、引っ越したら今ある素敵な縁も全部切れるんじゃないかと思って今もまだまだ怖い。コミュニケーションや関係は下手なままなので根本的な治療にはなってない。

後者はたぶん実家は帰りたい場所(というか安心できる場所?)にはもうならない、無理だ。この、みんなが帰省する時に俺だけ帰れる場所がないよ、という根無し草感はかなり堪える。本当に堪える。苦しい。そんでもう改善の兆しも見えないため、放置。

 

帰りたい、という衝動も、誰かそばにいてほしい、という願いも、ずっと孤独なんだな、ということの表れだと思ってしまった。

 

あー。孤独なのか、わたしは。

というか、ずっとさみしーんだな。さみしーーー。

今まで気づかなかった。

 

周囲の人間を全部敵にして戦ってきた、そうでもしないと今日まで生きてこれなかった。負けてたらきっと、17くらいで瀬戸内海の藻屑となって消えていたと思う(しょーじき、同じ環境でここまでこれる人間はまずいない、中学あたりで自殺してると思っていて、そこはすごく自分のプライドになってしまっている、肥大化自意識おそろしいのぅ)。

誰も助けてくれなかったし、そばにさえいてくれなかった。何が苦しいかを訴えても、忙しそうな顔をして適当にみな去ってゆく、それも銘々の「帰る場所」へ。

 

高校の時、部活が終わって、帰る時が1番しんどかったなあ、など。みんな、帰る場所があるんだ、とか思って。私も家には帰ってたけど、心はずっとどこにも帰れなかった、そんな気がする。

 

いまだに大学生になっても、寮にいるせいか他人がいつ帰省するかなどの情報がよく耳に入り、その度に「いいなあ」と思ってしまう。

帰りたい場所があるんだ、というか帰りたくなかったとしても、帰れる場所があるんだ、と。

 

 

私はどこに帰ればいい?

「帰る場所がないよ」というコンプレックスって、一体どうすれば消えてくれるんかなあ。

家族と仲良くなるよう頑張ること? なんて。

そんなのもう意識的に何年も、十分やってきたよなあ。とか。

 

 

無批判に自分を受け止めてくれる場所って、一個くらいあってもいいんでないのさ? みたいな。

もちろん良くないところは直すよ、否定も受け入れるし、それを生かして成長をやめたりはしない、ただできなくても変わらなくても変われなくてもそのままでいてもいいよって言ってくれる場所。

 

そんな場所をどこかに求めようとしているのかも。

 

…無理な話だろうけど。

だってそんなの家族だとしても無理だしなあ。

 

 

おわり。