これも下書きに溜めてた続きの日記。さくさくいこう。サクサクパンダ。
この1週間のハイライト
・集中講義
・歓迎会とブチギレ
・映画「バービー」を見る
・歯が欠けて、歯を治す。マウスピース作る
・PC復活
ぐらいか。
それぞれざっくりと。
・集中講義があった!
1週間で半期かけてやる授業全部やるというむちゃくちゃな弊学の制度である。一日3コマ五日で15コマ、大変だった。
でも一番大変なのは先生なんだろうな。
某フーコー研究者の先生がウクライナ戦争を例に、アーレントの主張を読み解きながら「なぜ戦争において真理が政治化するのか」というテーマでの授業。
こう書くとめちゃくちゃ堅苦しい感じがするが実際の話を聞くとかなりわかりやすい。
戦争などの非常事態においては例えばニュースなどで「爆撃で何人死にました」みたいな事実に対して政治家などが「そんな事実はなかった」とか「言いたい奴が勝手に言っているだけ」とかの批判が容易に通るようになってしまい、何が本当かということが客観的に存在するものではなく各々が信じたい事実を叫ぶようになってしまう、というような話。陰謀論とかがまさにそう。
最近だと某政治家が、関東大震災にて朝鮮人虐殺という事実はありませんでしたとかぬかしだして大炎上してたのも、一例だろうなと思う。
真実が真実としての意味を失い、各々に都合のいいように歪曲される道具に堕ちていく。そんな恐ろしさを、昨今のウクライナ戦争での顛末や、少し遡ればトランプ大統領選の結果に関わる議事堂選挙や陰謀論、ソ連時代の戦争や内戦を例になぜそんなことが起こるのか、なぜ真実を語れなくなるのか、そしてそのような事態を防ぐためにどうすればいいのかを世界大戦のまさに暗い時代を生きたアーレントの思想の力を借りて考えていく…という授業だった。
ガチで面白かったし、担当の重田先生という方がすごく話し手だった。
教科書はこれ↓。まだ読みきれてないけど、早く読みたい。
真理の語り手:アーレントとウクライナ戦争 https://amzn.asia/d/1hBEorH
そんなこんなで集中講義終わり。全く同じ日程で被っていけなかった國分功一郎(これの人→暇と退屈の倫理学 (新潮文庫) https://amzn.asia/d/8BOCLVy)は出れなかったが、また何か機会があれば。
・歓迎会とブチギレ
集中講義中に、先生や受講者の方が参加できる歓迎会があり、初めて会う人とも話した。
会自体はとても楽しかったのだけど、まーたいらんでいいことをある人に言われてかなりムッとする。
し、そのせいで気づいてなかったのだけどその人の発言が第三者から見ても普通にアウト発言すぎて、その場が凍ってたらしい。全く気づかなかった。
これは今もまだ揉めているので落ちついたら少し後で書く。
…なんだか歓迎会中にそんなことになって、先生や他の参加者の方に申し訳ないなと思う。
・歯が欠けて歯を治す、マウスピース
バービーのネタバレが馬鹿長いし見たくない人もいるだろうので一番最後にする。
歯が欠けました(n回目)。
というか、恐ろしいことなんだけど、先日定期検診に行った折に歯がかけていることがわかり、それは別日に直しましょうと決めた予定の2日前にまた別の場所が大欠けしたのである。
しかも今回はえぐいぐらい欠けてて、すごくしみて辛かった。少し、泣く。
無意識に食いしばりをしてしまっているようで、しかもそれが左側の歯にばかり集中しているらしい。
左の上下だけで6箇所欠けてるらしい。なんてこった。
で、土曜本日にマウスピースの歯形とるのと、もともと欠けてたところ治す前に、木曜に即座に直してきました。辛かった。
マウスピースも無事作れました涙
・PC復活!
まあこれも正直最初に伝えられた日からずいぶん待たされたのでもう感慨も何もないし、一番直したかったところが「不調が見当たりませんでした」とのことだったので、今後はいつ壊れてもすぐ買い替えられるようにしておこう。
あ、でもカメラが使えるようになった。
このPC君、買って1ヶ月でカメラがお亡くなりになったのでなんだかんだはじめて顔認証ができるようになり、感動するなど。寿司打もタッチが軽い!
それにしてももう二度とTOSHIBAの物は買いません(ガチギレ)。
まあそんな感じでしんどいなか1週間が終わりました。
追記:金曜の夜、授業終わりにそのまま某ちゃんと飲むなど。村屋チャレンジ失敗。これで3回目である。代わりにラティーノへ。安心の故郷。
ワカモレチップス久しぶりに食べられて良かった…。
某ちゃんも久しぶりに会ったが元気そうでよかった。最近何してる?など。
また美術館とかカフェとかご一緒したいものである。
あとは、昨日某さんに会った時に院試のお祝いに本をもらう。わたしがこれ好きそうとのことで、そういうプレゼントめちゃくちゃうれしいなあと思う。
だって私が好きそうだなぁと考えてくれるプレゼントって誰からもらったとてめちゃくちゃ嬉しいじゃないすかね。
そこらへんのウェブページの「女子がもらってうれしい!プレゼント10選!」とかから選ばれた高いものより全然こっちのプレゼントの選び方のほうがどんなものだとしても血が通ってるな、と思う。
早速少し読んだが面白かった。
そんな感じ長くなったもう寝るおやすみ。
以下は映画バービーのネタバレなので嫌な人はここで閉じてくださいな。
・バビーネタバレ
さて、映画を久しぶりに観た。なんでバービーかというと、集中講義にて先生が激推ししてたからである。
結果から言うと、めちゃくちゃ楽しめた。アメコミってこんな面白いのかっていうのと、ちゃんとテーマのしっかりさを感じられたのと。ただ可愛いバービーがキャッキャして…なんてちゃちな作りでは無かった。先入観よくないね。
いろいろと好きなシーンがあって、threadでもすでに散々書いたんだけど、一番書きたかったが一番長くなるゆえにthreadでは省いたことをここに書こうと思う。
一番好きなシーンについてである。
一番好きなシーンは、バービーが「変化なんて望んでいない」と泣きじゃくるシーンだ。
バービーたちの女の子が中心の毎日ハッピーなバービーランドを、男社会に目覚めたケンに奪われたあとバービーが上のように泣き崩れる場面がある。
まず最初に思ったのは「そうだよなぁ。変わるって苦しくって辛くって、できれば避けたいけどでも逃げられないんだよなぁ」というバービーの苦痛に対する共感であった。
私自身、大学に入ってから変化を余儀なくされたところが多々あり、その多くは自らを骨を一度折って正しい位置に戻そうというイメージのような激痛を伴う手段によってであった。
その変化はどうしても必要で、変わらなければみんなの中で生きていけないようなどうしようもない欠点があることも自分でわかっているからこそ、その変化の大変さや実際なかなか変わらない苦しさに板挟みになってもがいていたことを思い出した。
が、このシーンが印象的に思えたのはもっと別のところである。
この「変化なんて望んでいなかった」という台詞をあのバービーに言わせる皮肉さである。
バービー自身がそもそも今までの女の子な女性のステレオタイプを変革させていくカリスマのような存在であった。既存の在り方を打ち砕く変革者であるわけで。
その変革者バービーでさえ一度自分たちにとって都合の良い幸せな地位を得たら、たとえそれが誰かの(バービーランドの場合はそれはケンだったわけだけど)不満の上に成り立っていたことが分かっても、元に戻りたいと嘆くのである。
そうなんだよなぁ、特権って捨てるのが大変なんだよな。たとえその特権の影にどれだけの不正と不平等が隠れていても、一旦手に入れたぬるま湯を理性で捨て去るのは本当に難しい。
それを、もともとその不平等やレッテルと戦う変革者であったバービーでさえもそうなってしまうという描き方をしてるところに皮肉を感じた。
現実の男社会においてその特権的な地位にあるのは男性で、社会が変わっていってその特権がなくなっていった時に男性に「昔は良かった」「変わらないで欲しかった」と嘆かせる作品なら山のようにある。
だからこそこの台詞をあくまでも女性のバービーに言わせてるのも皮肉だなと思った。ただ、バービーも女性だとは言ってもバービーランドでは特権的な立ち位置の存在である。
ちょうど現実世界とは逆で女が主導権を握っている世界でそれが奪われたところから始めるのがいい。
物語の後半、現実の同じ男社会になったバービーランドを女性が取り戻していくという形でフェミニズムがモロに描かれるが、個人的にいいなと思ったのは実は最初は女性側が特権階級で、奪われた特権に対して元に戻してくれと叫んでいたのだという点である。
いやお前らも最初他の人の不平等の上で自分たちの楽しさを最優先にしてたやんけ、と。
だからこそ、男性と女性のどちらかが指導権を奪い合って…を繰り返すことは、根本的に何の解決にも至らない。バービーがケンからバービーランドを奪い返した後も、ケンがまた元の弱い立場に戻ることを嘆くシーンがある。
どちらかが勝てば、自分たちだけ良ければ、それでいい、そんな考え方ではまた反乱が起きて、奪われた方がまた取り返そうとして、の繰り返しである。
大切なのはどんな状況であれ、その時に比較的特権的な地位にある存在が、もしその特権が誰かの不平等や不正義の上に存在しているなら、自らの特権を自ら進んで捨てることになろうとも平等や正義にかなう世界を作り上げようとする態度である。
硬い言い方になったけど、要は「自分が享受してるいい立場を捨てることになってでも、より平等な社会にすることを選べますか?あなた。」ということである。
これ正直めちゃくちゃ難しいと思う。文面で見れば「そりゃもちろん!」て思うんだけどね。実際難しい。
改革者のバービーでさえ一度手に入れた特権を手放すことはなかなかできず、「変化なんて望んでいなかった」と不満を漏らす。すでに彼女にとって都合のいい世界にはケンの不満が隠れていたとしてもである。
物語で取り上げられてたジェンダーの不平等と特権に関して現実の男性社会ではこの問題はは男性が直面するものだけれど、もう少し広い目で見れば私たちの誰もがこの「既得権益からの脱却」を今、真正面から求められていると思う。
例えばセクシャルマイノリティの方々に対しての認識の改め。私は今のところマジョリティであるシスジェンダーのヘテロセクシャルであるけれど、それは偶然にすぎない。偶然に過ぎないのだけれどマジョリティに属していて、特に苦もなく過ごすことができたから目を背けようと思えばできる。
以前、セクシャルマイノリティの方が「考えるの難しいですね、で考えるのを終わらせられることができるのはマジョリティの特権だ」とテレビか何かのインタビューで言っていたことがあって、まさにそうだと思った。
本当に偶然に苦もなく過ごせる立場に生まれ落ちたから、偶然現状では待遇が良くないマイノリティに生まれ落ちた人との格差の是正の責任を負わなくても良いのだろうか。
良いわけがないよねーと思う。しかし自分が今持っているジェンダー観を改めるのはなかなかできない。どこかで見ないふりをしている気がする。
他にも数え上げればキリないけど、動物の扱いとか、寄付もそうだよねーと思う。
本当に動物に対する非人道的な扱いを不正だと思うなら食肉を全く買わないという形で、個人では微力だとしても実践に移すことができる。世界の貧しい国との不平等を思うなら、今買おうとしてる趣味の本を諦めてでも寄付をすべきだろうし。
でもそれをしないのはやっぱりどこかで、まあいいか自分はしんどい立場にいるわけではないし、今のままでもいられるし、と思っているからだろうなと思う。
もっともっと具体的な生活にも当てはめられる。
私は明日もチョコを食べるし、ユニクロの服を着るし、お肉をたくさん食べるだろう。
チョコやユニクロの生産の裏には、労働環境のすこぶる悪い農場や工場での人々の重労働があることを知っている人も多いだろう。鶏や豚がどれほど悪質な生育環境で育てられているかも見たことがあるはずである。
これらは仕方がないものなのだろうか。私たちの生活の豊かさのために必要だから、見て見ぬ振りしていいちゃちな不正義なのだろうか。
↑これ自体も大きな論点だけど、それは一旦置いておいて、もしこれらが不当であり、正さねばいけない不平等、不正義であると判断したならば、それを私たちは机上の結論のみにせず実践に移していけるだろうか。
つまり、明日からフェアトレード以外のチョコを口にせず、正当な賃金が払われている工場で生産された衣類しか身に纏わず、人道的な環境でストレスなく育てられた生物しか口にせず、場合によっては全ての動物をこれから食さないことを、選んで、実行していけるだろうか。
相当難しいんじゃないだろうか。
要は、何かが間違っていることがわかったら、それを見て見ぬ振りせず、自分の生活からでも少しずつ世界を正していけるだろうか。
そのために今自分が持っている仮初の特権を捨てることも厭わない倫理を持ち続けられるだろうか。
何か現状が変化を求められた時に取る行動は二つある。変わるか、戻るかである。
でもそうは言っても今までも楽しくうまくやってこれてたんだし、変わるのは大変だからこのままでいいよという立場ももちろん取れる。
というかその方が遥かに簡単である。バービーも一度そうなったのがここでいう「変化なんか…」のシーンなのだと思う。
繰り返しになってしまっているが、それまでの認識の改革者であるバービーでさえ一度手にした特権から逃れるのがこんなにも難しいという姿によって、利己心の強力さが描かれる。
しかしだからこそ、もう一度彼女が立ち上がって変化から逃げずに不平等と向き合ってより正しい社会を目指して進んでくれることに心から勇気をもらえる。
安易な革命家の生き様よりも、たとえ自身の立場を失うことになろうとも不正義から目を背けない特権階級の行動の方が胸を打たれるのは、たぶん後者の方が圧倒的に実践が難しいからだ。
「利己心を捨ててでも正義にかなう生き方に変えていけるか」
という、すごーくデカいメッセージをこのシーンから勝手に感じたりして、あわわわわわ…ってなったのでした。
まあ倫理学やってるからかもしれんけど。
もっと寄付の額大きくしようと思ったし、肉も減らそうと思った。
正直なところ「君たちはどう生きるか」よりも生き方を問われたなぁと思った。
最後でバービーだけがバービーランドを捨てて現実世界を生きていくのも、なんか不思議だけどいい構成だなと思った。
長くなったー、疲れた眠い寝るおやすみ、