ジカセイノプリン

memento morioka

4/8(土) 肩のあたりを殴られましたね

起床。昨日かなり早く布団に入ったのに寝付けず。

目が疲れたのか目を閉じていても沁みる。

 

睡眠不足のままバイトへ。間に合う。

今日はいつもより作業が多めだった。新しい作業も一つ教わって、そういえば他の人に伝えなきゃだったが忘れてしまっていた、次回には。換気扇など。

 

単語帳の音源をパソコンに読み込ませる作業。時間がかかる。音もでかい。頑張って覚えなければ。

昨日少しドイツ語やったけれど普通に分からなさすぎてこの先が大変そうだった。

 

お昼、休憩中に某ルネに行き久しぶりに学食を食べる。偶然友人と会う。明日会う約束をしていたのでびっくり。英語で話す練習をさせてほしいとお願いしていたのだ。せっかくなので今日少しお願いすることに。

全く話せない。それってなんで言えばいいんだっけ、の連続。日本語で都度教えてもらうなど。そう思うとこの友人も日本語覚える時には相当頑張ったんだろうなあと思うなど。

 

 

その後バイトに戻りつつがなく。友人から誕生日プレゼントをもらった、すごく嬉しい。しおりとくつ下、かわいい。最近本を読む量が増えた(快挙)のでありがたく使わせてもらおう、嬉しい。

 

バイト終わりにそのまま某図書館に向かい、別の友人と会う。そこでも英語の練習をさせてもらう。だいぶ長い間してもらった、助かる。少し慣れてきたような。嬉しい。

今日学んだ表現は今日のうちに復習しておこう、など、書いてすごく小学生みたいだなと思うなど。大切なことはみな小学生で学んでいるのかも。次回練習する約束をして、解散。

 

 

夕食、某中華料理屋。安い。排骨飯。

今日はこのあと帰宅して少し運動、奨学金の申し込みを少し進めて本を読もう。

 

追記:やっぱり家で事務作業するの無理すぎ、本読むだけにしよう。本業(学問)を昼間できないのはなんたる本末転倒か。

 

 

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↑図書館の入り口ら辺にある、おそらくハナミズキか?昨日の雨でだいぶ散ってしまったよう。

 

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↑排骨飯。ぱーこーはん、と読む。

 

 

そういえば、これはどこかで書いたような誰かに言ったような気もするが、つい先日こんな夢を見た。

 

 

ヴィーガン、という言葉をご存知だろうか。

少し前に流行、といって良いのだろうか、まあなにせ最近有名になったように思う。肉を全く食べない、という食生活のことのようである。ベジタリアンよりも徹底しており、ドレッシングとかに入ってる卵とかも全部ダメ。完全菜食主義などと呼ばれることもある。

ヴィーガンになる理由は人それぞれぽいのだが、動物の権利という倫理的な側面から肉食を避ける人達もいる。そのタイプのヴィーガンの中でも現代の動物倫理学者の一人者としてよく知られているピーター・シンガーという哲学者がいる。今も生きている。

 

 

よりにもよってそのシンガーの前で「いかにラム肉がうまいか」ということを熱弁してしまう、という夢。

そんで別に私ラム肉そんなに好きじゃないし。

で、ブチギレたシンガーに割とガチ目のグーで殴られるなど(夢の中で)。

 

怒りゲージの比喩として「ガンジーでも助走つけて殴るレベル」なんて表現を見たことがあるが、私の場合は今後「シンガーでも助走つけて殴るレベル」の方がいいかもしれない。めちゃくちゃ怖かった。

 

 

https://youtu.be/Diuv3XZQXyc

↑ちなみにシンガーはこの人。

このオジさん(失礼)に殴られました(殴られてはいない)。

TEDとかに出るレベルでめちゃくちゃ有名でスゲーーー哲学者である。Twitterのアカウントもあるぽい、クソデカアカウントである。

殴るけど(殴られてはいない)。

 

 

冗談はさておき、この動画は結構面白い。タイトルは「効果的な利他主義者になる方法」。これだけでは何のこちゃ、となるが、最も効率的に人を救うにはあなたはどうすればよいか、みたいな話になるのかな。皆さんも見てどう思うか考えを聞いてみたい。

 

倫理というととかく「より善く生きよ」みたいな清貧を押し付けられそうでイヤーみたいな印象を最初私も持ってたんだけれど、何も全部が全部そういうわけではない。自らの財産全てを投げうってでも他者を助けよ!と押し付けるわけでもない。

もしあなた自身も十分な生活を送れるだけの資産を持った上で、残りのお金を一番「有効」に使える方法があったとしたら? できることから始めればいいとも思うし、そもそもその「有効」って何すか、単に救われる命の数でいいのか、今ある命の更なる幸福度の上昇みたいなこと考えんでいいんすか? みたいな議論から始めることもできる。

とても面白い。

 

 

なんというか、難しいな、本当は「私こんなこと勉強してるんですよ」って友人知人に面白く聞いてもらいたくって、実際本当に面白いと思うし、ただそれを伝えるための私の言語化能力が些か足りなくて、もどかしい。

本当に歯がゆい。

面白さをどうにか伝えたいけど私にはそれができないので私が本当に楽しいと思った授業をみんな受けてくれ、というわけにもいかないので私の話でどうにかこうにか面白さを伝えたいのである。

エゴまみれではあるが、倫理学の楽しさが広まったら、私が嬉しいから、そうしたいだけで、私がそうしたいのなら、私がそうする責務があるのだ。

なんてごにゃごにゃ思う。気持ち悪いな。

 

 

少し前に友人に、「あなたと同じ学部の後輩の子がいる。楽単(いわゆる楽に単位がとれる授業のこと、通称して楽単と呼ばれている。出席点だけで成績がつくとかそういう感じの)を教えてあげてくれないか」という旨のことを言われた。

文学部は所謂楽単まみれなのでそれはもう教えまくれるのだけれど、実感としては「成績評価の仕方がいかにザルか」という一般的な楽単度合いの目安よりも、「あなたが実際どの程度その授業に興味を持てるか」ということの方が実質的な楽単度に直結すると思う。

 

結局、自分にとって興味ない授業だとどれだけ楽単だろうと成績評価の仕方さえ聞かないし、次の授業いつあるかとか期末レポート一発で成績決まる授業の期末レポートの締め切りさえ真面目に聞かないので、単位を落とす。

楽単だからってそもそも授業に行かなくなるし、行っても寝るばかり、じゃあ行かなくていいじゃんどうせ楽単だし、とやっているうちにいつのまにか期末課題についての情報が出席サボった時の授業で周知されていていつのまにかヌルッと楽単…ではなく落単し、落胆するのである、残念ながら。

 

興味があれば普通に授業行きたくなるのだ。2回生の頃とかはこういうこと言われるたびに「うるせぇ〜〜〜〜ボケがよ」と思っていて、正直信じたくなかったけど、これはガチ。

そういう意味で、とっつきやすさとか、興味を掻き立てる良さとかの意味で、文学部は「楽単」が多いと思う。特に社会学とかね、まあとりわけジェンダーとか、そういうのおもろいなぁとっつきやすいなぁと思う。

そうして授業聞きたくなって、成績評価とか抜きで普通に聞きたくなって、自然と授業に行くようになり、発表なりディスカッションなり予習なりを苦痛なくそれなりにできるようになり、楽しいなあと思っているうちに成績が上がったりする。

私にとってはその「楽単」が倫理学の授業だったんだよな。なのでまあ、私にとってというだけでその後輩に当てはまるとはかぎらないんだけど、倫理学の概論講義はおすすめ、です。文学部のやつな。般教の倫理学は知らないんご、ごめんごね。