起床。昨日はカネコアヤノの新しくリリースされたアルバムを聴きながら寝落ち。贅沢。
今日は早起きして金閣寺を見に行くと決めていた。
変なとこで寝たせいで寝つきは悪くめちゃくちゃ早く起きてしまう。
二度寝。7時。例の如く動くために朝シャワー。
身支度して出発、バスへ。40分ほど揺られる。
2年ほど前に雪が積もった時に見に行こうと昼ぐらいからのろのろ動こうとしたらもう溶けてるみたいな情報を聞いて半泣きになったことがあった。
そのためそれ以降、「次に、これは積もるな、って思った日は何がなんでもその日の用事全部ぶち切りしても朝イチで行く」と決めていた。
だからほんとは、日の出凸したかったのだけれど、今日の日の出は7時。寝過ごす。
雪が溶けてしまってるケースがとにかく嫌で急ぐ。
ご飯を食べ損ねる。
到着、8時半。結構かかった。
入れるのかと思ってたら入り口でどうやら並んでいる。
そういえばお寺には営業時間とかいうものがあったのだ、忘れていた。間違って日の出凸しなくてよかった。死ぬとこだった。
混雑していたがわりと早めに入れる。結構ガチ勢寄りの早さだったらしい。
じゃーん。
雪化粧の金閣寺。京都でやりたかったことNo.1が達成できました。残りの京都生活は消化試合です。
嘘です。
頑張って来年(来年以降?)も生きるよ。
それはそうとほんとにきれいでしたねぇ。
コロナ禍に観光客が少なくなったのを逆手にとっていろんな寺社仏閣が修理修繕をしたらしい。金閣寺もその一つ。金箔を全貼り直ししたらしいのだ。
で、みたいなーみたいなーと思ってたのが、やっと、叶った…!んですぅ。
あなうれし。もう2023終わっていいよ。
嘘です。
他にも色々写真撮ったり、おみくじをひいたり(リセマラしてます、今年7回目)した。
1時間くらいいて、寒すぎて手足の感覚なくなった。
帰りに喫茶店に寄って回復。
ホットサンドとコーヒー。モーニング。おいしい。
帰り全然バス来ない、仕方なくとりあえず来たやつに乗ったら四条烏丸についた。ちょうど別のバスが来たので乗って帰る。
そういえば、たくさん写真撮ったけど、正直金閣寺よりもこれが一番好きだった。
光とそこに続く仄暗い道。
やっぱりそういう写真が好きなんだなあ。みつを。
これはね、雪の影がよいよ。われながら上手いわ。
帰宅、いそいでシャワー浴びる。一つ寮の仕事。
今日やっと事務のお姉さまに退寮しますって言えた…!そわそわした。
手続きしつつつつがなく。
洗濯。かるくご飯。他の作業。疲れる。
夜談話室で少し作業しつつごろごろ。
友人に誘われて大学に行く、チャリをとりに行かねばならんため。某きゃらばんでご飯。
あのハンバーグはバターとナツメグが決め手とのこと。とろとろなのはたぶん玉ねぎとバターのせいで、お芋は入ってないらしい。マジかい。
油を油で包んで油で揚げてる…てコト!?
友人とは図書館で別れ、チャリを確認し、研究室へ。あったかい。
作業、部屋のレイアウト。新しいソフト使うの難しい。すすまん。
イヤホンでカネコアヤノ聴いてると音がデカすぎて音漏れしてたらしく、いろんな人に聴力を心配される。
南無三。気をつけよう。クラシックとか聞こう。
帰路、チャリちょっと乗ったら即こける。
忠告は聞かないとだめね。
おやすみ。
以下雑書き。
要領を得ないコールセンターが世界で一番嫌いで毎回いらいらしてしまうんだけど、これって要求を具体的に把握したり伝えたりする説明力の無さでいえば私の問題なのかも。
どんな辛い期間でもいつか終わりがくるっていうのは、いい考え方だなあと思うなど。
今日はダメな日〜っていうて全部諦めてしまうよりも、いつか季節が変わる来るべきその時のために備える期間だと思って腐らずにコツコツやるのがいいのだなあなど。ちょっと調子が悪くても今はそういう時期、いつか抜けられるというか自然と終わりが来る、終わりが来るためにもできる限り休むことなく歩き続けとこうみたいな。
今年に入って出会った人が、割とどの人もそういうスタンスで、最初はすごく馴染みがなくてびっくりしたのだ。(友人知人先輩後輩、わりとパッと思いつくだけでも6人。)
でも、今はそういう考えをすごく素敵だなあと思う。特に今はそういう時期で、いつか終わりが来るものってとこと、だからこそ蓄えを作る期間やと思って頑張っとこみたいなとかが好き。
なんでかわかんないけど、今できないとか無理だとかだと一生無理なんだ!と思い込んでしまうようになってたな。変わるに決まってるし変われるに決まってるやろがいと思うようにしよう。
そういえば父と和解しかけてる。そんなことあるんだな。
ふたりとも変わったんだろうか。
というか、そもそも父さんは敵ではなかったようだ。こんな感じの、話してみたら実は敵でもなんでもなかったワ、みたいな人が結構いることに今年気づいた。
最初から、誰も敵じゃないというか、敵にしてるのは私というか、敵なんていなかったんかもしれん。
私が尖っててひねくれてただけで、父さんや母さんがしてくれてたことだけみたら、ずっと私を支えてくれてたことばかりではないか。
特に父さんなんかよくよく考えたら性格はあんまり好きじゃなくても、それいい考え方だなーってのはいろいろ知ってたじゃないか。
努力家なこと、計画性のあること。私にないもの。
特に、本というか、新しい言葉というか、さらに世界を知るための投資に金を惜しむなとか(前々から欲しいなと思っていたバカ高い辞書をダメ元でお願いしたらあっさりOKされて買ってもらえた。それもなんでもOKとかじゃなくて、いいの?って聞いたら「その本が勉強に必要なんだろ」って理由で、ただそれだけで)。
ああ、あと知恵の輪とかジグソーパズルとか、私が好きなものも大体父さんと作り上げてきたものだ。そういえば将棋も父さんから教わったな。
愛されている。応援してもらえている。と、なんとなくふと思った、それはお金が云々とかじゃなくて、今までしてきてもらったたくさんのこと、かけてもらったたくさんの言葉を思い返しながら。
この人のどこが敵なんだろう? どうして敵だと思ったんだろう? と自然と疑問に思って、わりとすぐさまそのまま尖りが消えた。
マジで、とがり、やめよう。
いっぱいコミュニティをもって、できるだけたくさんの人に触れたほうがいいかも。閉じこもると排他的になって嫌って疑って攻撃してしまう。(誰も敵じゃないのに!)
頑張ってみよう。不幸だと思い込むこととか(実際恵まれているし)、思い込んで動かない理由にして逃げることとか。