起床。昨日も寝付けず。
今年の目標は、即決、即行動、後回しにしない、逃げない。の方がよろしいかなと。
某綾川ショッピングモール、初売り、いろいろ買えてなかったものを買う。服とか、ちいさいかばんが壊れたから新しいやつとか。おしゃれになりたいものだななど。最近どうも垢抜けない。去年くらいまでは頑張ってたのだけれど太ってめんどくさくなってた感ある(というかめんどくさくなって太ったか)。
去年あたりまではわりと筋トレとかランニングとかもしてたんだよ!(ほんとだよ!)
下着とか服とか買う時に自分の体見てリアルに「うわっ」て声に出てしまった。恐ろしいね。
また再開しよう…。口だけにならないように…。
口に出せたらその時点で満足するのも良くないところだな…。その月の目標を忘れないようにわかるところに書いとくとか、そういう工夫が求められている。
ショッピングモール、母と最初コーヒー飲んでうろうろする。途中一本電話、初詣に誘われる。そこ昨日行ったんだよなあ(足がバキバキである、これほんとにみんな観光中に登るの?大丈夫?)、あといま出かけてる途中だからごめんねなどと断る。
そいつのこと少し毛嫌いしてたので話して普通にいいやつやんけ…となり、普通に人間不信の自分に対して不信感が湧く。人を信じましょう。
その後、服屋とかランジェリーショップとかカバン屋とか(この〇〇屋って名称楽だから使いがちだけどちょいダサいのでいつも〇〇ショップでいえばいいんかなあとか思ってそれも言い慣れてないので屋になる)めぐりにめぐる。少し買う。
おひる、この某綾川イオンモール、つい先日四国で初めてのサイゼリヤができたことで賑わっている。行ってみるかと母と話していたら30mくらい列ができててドン引き。たかが、たかがサイゼリヤに…。
絶対にこんな田舎から私は逃げ切らなければならないと確信する。
実家でいればいるほど、貧乏の片鱗や田舎の片鱗(メンタル面の話、昨日の日記参照)を至るところから感じていちいちしんどくなるのマジで良くない。
たぶん根本的に好かんのだろうな。自分が意図的にそこから逃れようとした忌避の対象なので、まあ仕方ないかも。今はなんとも思ってないんだぜ!と涼しげな顔をしていても、過去の自分に対する辟易とか同族嫌悪がいつのまにかどろりと忍び寄ってくる。
自然と好きになれるまでは無理に距離を詰めようとせんでいいかも。うん。
その後帰宅、家で蟹鍋。蟹とか10年ぶりくらいに食べたかも。おいしい。
食事中、親戚がなんだか機嫌が悪そうで、常に顔色を窺っている自分に途中で気付く、どうりで蟹鍋の味を途中から覚えてないわけだ。機嫌が悪いんじゃなくて疲れてただけかもしれないけれど。
その後も作業、手につかず。気絶しそう。今日こそ早寝。
今日スピッツを改めていろいろと聞いており、というか作業中にパソコンからかけ流しているのだけれど、めちゃくちゃうわってなることがあった。というか、最近そういうこと多いなーって感じだけれど。
アルバム「ハチミツ」をかけ流していた。大体知らない曲なんだけれどそこは有名なスピッツ、たまに「あ!!!これスピッツだったのか!」みたいなことが度々起こる。ロビンソン、冷たい頬、優しいあの子、正夢、などなど。
で、今回は「愛のことば」だった。
聞いた時に「あれ?この曲なぜかサビの歌詞歌えるな…?」と思ったけれど、その時はそれ以上は思い出せなくて、どこで聞いたかを思い出したのは2時間後くらいだった。
そこで思い出すまで、その曲を初めて聞いたその出来事すら忘れてたから芋づる式に全部思い出して「こっっっっわ!!!」ってなってしまった。
どちらかといえば、えっっっも!!!ってなってほしいんだけれどな。
で、どこで聞いたかと言えば、2016年、高1の時に人生で初めて観た一般公開の、劇団ハイバイの作品「おとこたち」でだった(ちなみにハイバイは「hi-bye」だよ。byebyeではないよ。めちゃくちゃ格好いいよね。はじめましてからさよならまで。)。その中の挿入歌というか、最初と最後にこの曲を演者が全力で歌って終わる、という構成だったのだ。
なんかいい曲だなーと思ってそんときは調べずにサビの歌詞とフレーズだけ耳に残ったのを無限回頭の中で擦ってたんだけれど、まさかスピッツだったとは。やっぱり有名な曲というか、みんな好きな曲なんだなあというか、スピッツってすごいんだなあと漠然と7年後の今日(7年…?)思いましたよ。という話。
7年…?
7年………。
今年は2023年だという自覚が早めに得られそうです。
あと正夢も似たようなもんか。2017年の公演で先輩が書いた台本で正夢が終わりの曲として使われてた。めちゃくちゃおもろい台本だったのだけれどどこまで書いたら著作権云々に触れるのかわからんから怖くて書けないね!
劇中の話が正夢になったら超おもろいね? というとこまで含めてその曲選だったらしく(かっちょえ)、ちなみにその人も戯曲が馬鹿うまくて(演技もうまかった)、歯軋りと身悶えた燃えるような嫉妬と憧れにいろいろと焦がしまくってた記憶がある。
正夢も思い出した時に「うおっ」てなった気がする。その公演したことすら忘れてたからな。
外から与えられたきっかけ(音楽とかな)に、自分でも忘れてた記憶をずるりと勢いよく引き出された時のあの薄気味悪さとひとつまみの神秘に身が震えて「こわっ!」とか「うおっ」とか言うてしまう。
知る人ぞ知る某映画「千と千尋の神隠し」という作品の中で「一度あったことは忘れないものさ…思い出せないだけで。」という台詞があるのだけれど、まさにそうなんだなあと思った。
あーこわいね。こわい。
これからも思い出せないことをこうやってふとした時にグッと引き出されるんかな。
なんか「全てを把握しておきたい」欲がまあまああるので、こういう「自分にわりと近しいところのものだったはずなのに知らんかったぞ!もしくは忘れてたぞ!」みたいなことにぶちあたると「ヒェッ」ってなってしまう。こわや。
とかいいながらまたスピッツを聞いている。
もうこの「こわっ!」がちょっとクセになっててどこか求めてるまである。
(追記:「運命の人」で「うおっ」てなる。もうやだ、おもろい。)
あと、有名な音楽とか映画とか小説とかの作品ってやっぱりできるだけ触れておいた方が良いんだろうなーって気がめちゃくちゃしてきた。劇団ハイバイの作品を見た時も、先輩の戯曲の演出を知った時も、スピッツさえ知っておけば「お!」と思えたはずなのだ。そうすると、もっと楽しめたかもしれない。
まあそんなこといいだしたらまた「今すぐにできるだけ多くの作品を知らないと」という義務感ドリブンに逆戻りしてしまうので、てきとーにやるのがよい。
まあ可能な範囲でいろんなものに積極的に触れておいて、幸せ度合いあげてこーね。みたいな。
ちなみにこの義務感ドリブンによる「1秒でも早く『全て』をできるようにならなきゃ病」、去年まで3年間くらい苦しんでた。おそらく受験期あたりに発症。結論として「いや無理、(笑)」と開き直ることで寛解。
今年になって知った用語にちなんでこの症状を「無限客観リスト説」と読んでいた。早く一人前に、それなりの人になるためにできなきゃいけないことがあとあれとあれとあれとあれと…と無限に増えていくのだ。死ぬ。
最近になってもうかなり落ち着いた。今は「やりたくないのにやるの虚無すぎる」と開き直っている。それがいいのかも。
あと「不思議な少年」をポチった。最近ポチりすぎである。
普通にポチる前に満喫でも行って読んでからにする方がいいと思う。
のだけれど、寮のこの環境だと、何をどうやってもゴミにはならないし、なんなら財産になってみんな(いつか出会うことのない将来の誰かかもしれないが)にありがたがられるかもしれないし、置けば置くほどうちの談話室が豊かになる一助となると思っている(実際うちの階の談話室は寮内で一番文化面で豊かだと思っている、他は全員負け犬なので辛酸でも舐めといてください)。
そのためすごく適当にかつ軽率に買ってしまう。
まあ別にええんですけど!
今度そう言えば初海外旅行に行くかも!という話が出てるのでそのためにお金を貯めなきゃなのは喫緊の問題なので、そこだけ気をつけとかなきゃな。
頓挫しませんように…。絶対行きたい…。
↑お昼に食べた中華料理のピータン、母は初めて食べたと言うていた。気に入ったようでよかった。風来のシレン思い出すよね、など。