ジカセイノプリン

memento morioka

8/4(金) 院試2日目

院試2日目。ドイツ語と面接。

ドイツ語全然できなかった。面接はそこそこ。

 

なんだか最近、「何かが『できる』ようになる」というのはどういうことか、というのがとても気になる。

どういうことなんでしょうね。

 

解法や語の意味を詰め込んで、一定の問の形式に対して適当な答えかたができるようになること?つまり暗記か。

だとしたら常に既にある解をインプットしておかなければならないことになる。0から1を生み出すことなどできないだろう。

 

では暗記以上の何かがあるのか。0から1を生み出すことが求められるなら、それはどうやればいいのか。

 

↑この問いがずーっと心の中で引っかかっている。正直なところ高校の数学もつまづいたのはここである。解放を全く覚えていない状態の方が解けたのに、なまじ適当な解法をいくつか覚えると、それら既知の知識からその問に対して新たな部分をどうやって作り出せば良いのか全くわからなくてさっぱり解けなくなってしまったのだ。

英語であれば文法がそのまま出るのでいけたのだけど、数学がマジで無理だった。というかテンプレをただ暗記して答える、つまり知ってる問いに対して答えることが多い英語の問題はわりと対応ができたのだが、すでに知っている0から知らない1を作り出すのは非常に苦手だった。

 

何が言いたいかというと、その弱点が今回の院試対策でも大いに足を引っ張ったということである。

特に今回の試験つまり院試は、これまでの試験(期末考査とか高校までのテストとか入試とか)に比べて、必要とされる知識の量に対して使える期間がかなり短かった。その上、更にここが一番重要な違いな気がするのだが、これまで学校や塾など、気づかないうちにスケジュールを立て、サンクションを与えてくれていた存在がなかったため、今回はまっこと大いに苦労した。

というよりも今回初めて「今まで自発的に勉強したことなかったんだな」と気付いた。某思考の整理学よろしく、所謂グラインダー人間だったのだろう。自我がないと言っても良い。

いつのまにかレールの上に乗せられて走っているのは走っているのだけれど、ゆるやかに下り坂になっていたり前から引っ張ってくれる力があったりとかで、進んではいるけど自分で車輪を回したりはしていなかったのだ。

試験を乗り越えたり、そうでなくても何かを身につける時(とりわけ試験や締切などの外的な動機づけではなく、自分がしたい!と思うだけの時はなおさら)に大事なのは、まさにその「自分で車輪を動かし始める力」、更に「速度が落ちてきた時に再び加速し直す力」なのであって、今どれだけの速さで走れているかは全く重要ではない。

その速さは自分がもたらしたものではないかもしれないからだ。

 

 

さてそんなあらゆる難点を発見できた本試験であるが、さっぱりだった。ドイツ語も哲学史も。なんなら英語さえも。及第点は取る程ぐらいにまではいけるのかもしれないが、「身につける」ということがどういうことか、「身につけるために」何をしたら良いのかで躓いてしまった。

もう少し詳細に言えば、

何をどうやれば何が身についてどう能力が上がることになるのか。

何ができるようになれば受かるのか。

そもそも何ができるようになれば「できる」と言えるのか。

がさっぱりわからなくなってしまい、とりあえず試験は終わったものの、今が一番不安に襲われている。大丈夫なのだろうかと。

 

この先どうあれ今までより更に必要とされるものは増えるだろう。一生そうだろうし、逃れることはできないだろう。

だからこそ、「じゃあこの先さらにどうすれば良いの?」と急に四方を塞がれたような面持ちになってしまっている。

いや乗り越えなければならないのはわかっている。

 

 

割とずっとこの問いは喫緊の問題だったので、いろんな人に今まで聞いてきたことがあるのだけど、「慣れたらできるようになるよ」「そんなに気にせんでも笑」「そもそも大学にちゃんと受かってるんだからなんとかなるでしょ」

という、違うんだよなぁ〜という落胆を感じざるを得ない回答しか得られなかった。

ただし実践的な話として、その問いが分かるまでじゃあ何にも進めませんとはいかないので、言う通りとりあえず読んだり書いたりして知識の詰め込みをやってみるわけだけど、実際にそれで案外うまくいったりして、じゃあもうええか…となることもある。

 

だけど一山超えて落ち着くと次にまた何か乗り越えなきゃいけないときに必ず、「あれ。何がどうやったらできるようになるんだっけ?」と不安に思うわけである。

理論化したところで実践に如かずなら無意味だと言われるかもしれないが、私はやっぱりその辺はっきりしておかないといつまでもしんどいんだと思われる。

そもそも、そんなことを気にしないようになった方が良いという、二階の欲求を優先した方が良いかもしれないが。

 

 

 

まあ何はともあれ、少しまた考えてみよう。けど実践が疎かになるのは良くないから、両輪としてやっていくべきである。また、どうせ人に聞いてもろくな答えもらえんと腐らず、可能な限り臆せず聞いてみたいし、答えをいただけたとなったら心から感謝したい。

とりあえず、学部の学生相談室に今度行って聞いてみることにした。

ああ。あと英語の訳の「日本語が日本語ではない」問題も早めになんとかしないと。

 

 

課題が多いのは良いことだと思うようにしている。伸び代があるから。ただそれが伸び代であるのは、課題を解決しようとしている時のみである。

何もしない現状を肯定するために使っていては元も子もない。

 

 

 

めちゃくちゃ偉そうな結論になってしまった。もともとの今日の話題は「できるようになるってどういうこと?」だったのに。

 

ドイツ語の回答、あまりにひど過ぎたので夏休みにもう一回ちゃんと学び直そう…。

(ひどいドイツ語、ヒドイツ語…。)

 

何はともあれ。少し落ち着く。ああ、今度銭湯にでも行こう。お酒も飲みたい。

 

 

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↑学部棟南にある、少しおしゃれな中庭。