ジカセイノプリン

memento morioka

12/10(土)日記長すぎ罪

昨日さらっと書いたけどNotYetRespondedって意味は別にかっこよくないのに、なんか音の響きとか見た目とか含めてめちゃかっこよくない?たぶんプログラミング上の都合なんだろうけど、キュッと縮めて1つの単語みたいになって大文字が入ってるのも良い。

ノットイェットレスポンディッド。

うん、よい、韻踏んでるみたいでよい。

 

 

起床。

結局昨日はタスクを片付けたり、怒りの後始末をしたりしてそこそこメンタルも落ち着けられたのは良かったけれど、寝るのは遅くなった。反省。なんだか一度寝る時間が狂うと延々と狂ってる気がするな。11時に寝付けないのだ。そんなこと言っても仕方ないので無理にでも寝るべきだろう。

 

8時半におきて、ご飯食べたり準備したりですぐに9時半、バイト。

うまく説明できないのだけど(どこまで書いていいか分からんため)、今のバイトはシフトが一人の時と三人の時があって、三人の時は仕事の内容が三つに分かれており、日によってどれを担当するかが変わる。なんというか、仕事A,B、Cがあって、今日は私がAで私が次のシフトの時はBで次はCみたいに一個ずつ回っていくのだ。

で、そのなかで一番大変な仕事Cが今日だった。というか、今週3回バイト入ったのだけれど、全部Cだった。曜日によってそもそも一緒に入る三人の面子が違うのでそれぞれの曜日でそのサイクルを回しているのだ。それが大変なことに仕事Cの日が3日ともこの週にかぶった。大変な週だった。(…というか、だとしたら三週間後またそうなるのでは…?)

午前中は飛ぶようにおわり、昼の休憩。サンドイッチを食べ、身支度をしてもう一度バイトに戻る。

同じシフトの友人と少し話をする。麻雀牌のストラップを買ったんだと自慢をしたところ、「麻雀が分からない、よければ教えて」とのことでめちゃくちゃウキウキで教えた。

 

教えてていつも思うのだけれど、麻雀って結構「甘えんな」みたいな考え方が強いなあと感じる。まさか1回捨てた牌であがれると思うなよ(フリテンというルール)とか、自力で全牌集められず人から牌もらった分際で点がそのままもらえると思うな(鳴きによる翻の低下)とか、字牌入れたら役作るの簡単に決まっとろうがい点数下げるぞ(混一色清一色など混○○と清○○という役の違い)など。そういう「甘えんな」みたいな視点が理解できると麻雀のルールが一気に理解しやすくなる気がする。

などなどいろいろとルールを教えていると、「やっぱり難しい」と言われ、「あ、いやいやごめん麻雀は基本『これかっちょいい!!!!』みたいなノリで覚えていくだけだよ」みたいな謎フォローを入れてしまう。でもこれは割とガチで、私も麻雀は「ムダヅモ無き改革」という漫画から入ったため一番最初に覚えた役は役満国士無双だった。

その役は出ねえよお!!!

 

あとやはりここにきても「麻雀って結局運ゲーじゃないの?」との恒例の質問が。これ度々言われるんだけれど私は明確にNOだと思っている。どうも「麻雀は運ゲーでしょ派」の話を聞いていると、

①自分がどの牌をツモるか分からないから

②相手が自分の手番に関わらず先に上がってしまうことがあるから

というのが2つ大きな理由としてよく聞く。

これに対して両方とも明確に自分なりの「麻雀は実力ゲーだ」たる答えがある。

①に対しては「どんな牌が来たとしても活かせるよう待ちを広く手牌をそろえておけるのが実力」

②に対しては「人が上がる前に上がれなかったのは自分の実力不足」

という答えである。

これを言うと「オカルトだ!」「サイコパスだ!」みたいなことを言われることもあるが(後者に関しては許してない)こっちからしたら「麻雀を運ゲーだと言っているなんて、まだまだ理解が浅いねえ…」といった気持ちである。

適切なツモを引き寄せさえする雀力や、目まぐるしく変わる全ての状況を活かせる主人公たる素質や実力が自分にあるかを確かめられるからいいゲームだと思うんだけれどね、麻雀って。好きです!

 

↓あとこれは件の麻雀牌ストラップ。西です。

なんだかんだかなり気に入ってきた、西、いいね。

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その後、高校の友人に久しぶりに会う。どうも卒論(きゃつは工繊なので作品の卒業制作らしいが。)が近くて切羽詰まってきたから一緒に作業できる場と人が欲しいとのこと。人と一緒に作業したことなどなかったので興味ついでに行ってみる。洛北阪急スクエア。マックで待ち合わせてその後スタバへ。まあぼちぼちすすめる。課題と絶賛遅刻中のアドベントカレンダー執筆。課題は終わり、アドカレは途中、はよかけ。

そういえば久しぶりに高校の部活の話題になった。その子もいまだに顧問のこと嫌いらしい(私ももちろん嫌いです☆、というか同期の中で顧問のこと許してるやついない説ある)んやけど、なんといまだに顧問のTwitter見てるんやと。その内容が、当時の私たちの世代のことだろうなみたいなことを美化して書いたり、今の世代と比較して書いたりしてるのが腹立つらしい。実際嫌な気持ちになってるのになんで見るんだろう?と不思議だったが(ミュートすればいいのに、と内心思ってる)、まあ見ちゃう気持ちもわかるかも、と思って放っておいた。

私も昔そうだったけど、今はもう「気分悪くなるものなんか見んでよくない?」精神になったためムカつくもの全てガンガンにミュートしており、この前ちらりとミュート数見たら3000を超えていた(おい!)。という話を別の友人にしたら、「ミュートはアカウントに対してじゃなくて、特定のワードに対してかけろよ」と意見をもらう。それはそうかも。私どちらかというと人中心で考えちゃう悪癖があるからなあ。同じ言葉でも、誰が言ったかでかなり印象が変わってしまうんよなあ、よくないと思う。

その後今日あったその友人とはラーメン食べて解散、また会いましょうなど。ラーメン重すぎて苦しくなる、年か?

あとこれは途中で見つけたストゼロみたいなクイックルワイパー↓

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あと、昨日もちらりと書いた怒りの発露の続きが今日あって、久しぶりにレスバみたいなのしてしまった。レスバはわりと一通り落ち着いた(勝った!)と思っちゃったけど、レスバに関与した時点で全員負けなんよな。にしても「それ最初から言ってくれてたらこんなこと言うてなかったんですけど」みたいな文言は問答無用で負け宣言だろ、とは思うけれど。勝ったと思っちゃってる自分がちょいいやだな。もう少し良い言い方があったかなとは思うけれど、正直やっと言えたわみたいな気持ちが強すぎてあんまり反省できていない。

しかし、争いは同レベルの二者間でしか起こらない、みたいな言葉が頭をちらつき情けない気持ちがある。こんなレベルを卒業してもっと高みへ行きたい。

 

全てを許せる人間が一番善い人間なのだ!みたいな考え方はもう捨てることができたけれど(正当な怒りや、大事にすべき怒りもあると今は思うし、全部許してたらただの都合の良い人間になる気がする)、基本的にちょっとやそっとのことじゃ怒らない人間の方がやっぱり有徳な気がするんだよな。

そういう意味でもうちの研究室の教授様を実はかなーりすごいなあと尊敬している。こんな人間がいるのかと。もちろん知識とか研究のすごさみたいなところに対する尊敬もめちゃくちゃあるんだけれど、人としての人格のすごさとか面白さみたいなところもかなり好きなんだよなあ。

 

怒らないようになりたい。というか、叱りはしてもキレはしないみたいな、そういう成熟の仕方をしたい。おちょこぐらいしかないキャパを、もっと大きくしたいのだ。

そうするためにもまず今自分が悶々としていることにケリをつけていくしかないのだろうな。腹を決めて進むしかないんやろうなあ、ということは分かってるのだけれど。

なぜこんなにも進めないのかなあ。

 

 

 

 

 

 

でも考えても終わりがないしやってくしかないんだなあ!みつお!!!

 

おわりぃ!!!!!