ジカセイノプリン

memento morioka

12/22(木) 醤油と血痕

起床、昼の2時。

寝たのが朝の8時か9時だった。昨日は本当にいろいろあって大変だった。

私はもう何を大事にすればいいのかよく分からない。とりあえずしばらく何も考えない。

 

とりあえずご飯。寝ている間に汗をかいてしまっていたのでシャワーを浴びる。

 

 

 

 

物が落ちる音とか、壊れる音が、それが意図的に起こされたにしろ偶然起こったにしろ、めちゃくちゃに苦手なんだなということに気づいた。

 

昨日友人が大暴れした。グラスや窓や机が壊れた。物が飛びかった。ガラスを踏んだやつが怪我をした。踊り場の畳が醤油と血痕まみれになっていた。

こんなに怒りが振り撒かれるのを間近に見たのは初めてだったかもしれない。普段からそいつのふつふつとした不満を感じてはいたけど、ここまでになるとは。ここまで至るまで気づかないふりを周りもしてしまったのかもしれない。怖かったのもあったけれど、内容も内容で何も言えなかった。みんなで必死に押さえ込んで、落ち着くまで待って、ひとつひとつガラスの破片を集めて片付けをした。

 

本当に昨日は怖くて、でもそいつを責める気持ちにも全くなれなかったから、一体どこに向かって気持ちを表せばいいんだろうと分からなくなって、ただただ涙が出てきてしまった。大きな音がする時はいつもそうなってしまう。

無理やり止めることになってしまったけれど、昨日は確かに人の温かさも危うさも全部強烈に目の当たりにして、ああやっぱり人って素敵だなこいつらと出会えてありがたいな、なんて良いやつらなんだろう、いてくれてありがとうと心から思えた。それは暴れた本人含め同期全体に対して、本当思う。

 

 

でも、もう退寮した方がいいのかもしれない。

心が追いつかないし落ち着かないし、逆にここに心が追いついたらダメな気がした。

 

あー…。もう一人でいる方が良いのかもしれない。それか女子寮とかなのかな。もうよく分かんないなあ。

 

 

 

まだ本当の意味で一人で人生を決めていくということがよくわかってないみたいだ。まだこれからもう少し、いろんな波に揉まれた方が良いのだろう。それで悲しくなったり嬉しくなったりして、いつか波に流されながらどこかに辿り着ければ、それでやっと何かが見えるんじゃないかなあ…。

 

 

動けない。ありがたいメールが来たから返さなきゃいけないんだ。

落ち込まないように元気でいられるように動かなきゃ。それは誰でもない自分のために。

 

 

遅めの昼ごはん、洗濯。

夕方からバイト、晩ごはんはキャラバン、友人がバイトしていた。

少し作業、課題、麻雀、お風呂。明日も早い。

明日は返さなきゃいけないメールが一件。

 

そういえば、もう一つのブログで書いた記事について昨日今日いろんな人から感想をもらった。サイコパスか?というのが一番多かったけど、面白かったとか、おちょくられたと怒りを感じたとか、最後のネタバレ見ずに終わったから本当の話だと思ってたとか。それらの感想がもう面白かった。

感想を伝えてくれるのすごくありがたいな。うれしい。

 

 

 

 

あと、昨日のことについて少し日記。

12/21(水)

2、3限。対面。お昼ご飯は軽めに。授業後、研究室にて書類をいただく、今週末のバイトについてのものだ。そのあとありがたメールを一件送る。友人にお金をPayPayで送る、その時に電話番号なしでも送れることを初めて知る。

そのあと友人とご飯に行く、さらにそのあと寮の同期と飲み会の予定があったため軽めに。少しその人と話。人間関係むずかしいねなど。何が正解なんだろう。

 

そのあと寮で同期と飲み会。遅れ、怒られ。この前のアドカレについての感想をもらう。早くもう一つのエクストリーム帰寮の方も書かなきゃ。

みんないいやつだ。本当にいいやつらだな。ありのままの私のことを受け入れてくれることの尊さたるや。いやほんとに。

「お前はこういうことで喜んで、こういうことに傷つくんだな」と素直に受け止めてくれる人が、一体今の私の周りに何人いる?と考えてしまったのだ。それで昨日のような日記になってしまった。日記と呼んでいいのか分からないけれど。

 

でもなんというか、相手を素直に受け止めるリスペクトフルな態度と、相手がどうだろうと関心を示さない無関心的な態度って、かなり表裏一体だと思う。全く干渉しないのも、どうなのかなと。

そういうリスペクトフル無関心な態度がいいと思い寮の人らに対してしばらくやってたら、誰とも関われなくなってすごくさみしくなってしまった。こんなに近くにいるのに、誰とも一緒にいないみたいで。

相手がどんなにダメなことをしてても放っておくときの気持ちとしての「そいつはこういうとこも含めてそういうやつなんだ」と認めるリスペクトと、「別に興味ない」と他人のようにふるまう無関心さって、一体何が違うんすかね?あまりに干渉しすぎるのも違うと思うけれど、それだと何にもできなくなるし。難しい。

 

往々にして、家族のように距離が近い人間にはいちいち言うてられんのでこういうリスペクトフル無関心みたいなのをやりがちで、相手をそのままそういうやつだと受け入れつつも、こいつのこういうところは変わらないと不満を感じつつ諦めているようにも思う。

友達ぐらいの距離感だと嫌なら離れるという選択肢が残ってるのでわりと助言も説教などの干渉もできる、でもそれは自分の理想を相手に押し付けているようにも感じられる、でもじゃあ相手の良くないなと感じられる部分に対して何にも自分の意見を言わないならそれって一緒にいる意味あるのか?みたいな気もする、言わなくてもいいとは思うけどさ。

 

じゃあ寮生ってどうなんやろう?同じ家に住んでるって意味では距離が近いので家族的なリスペクトフル無関心さもかなり必要だ。干渉が行われすぎると双方生きづらい。しかし良くないところの指摘が全く行われないのもな、という感じがする。完全に前者に全振りすると孤独が過ぎる。後者にふれすぎると自他境界が曖昧なやつになる。

 

私にとってこの寮は最適な人間関係ってどんなもんじゃろうね?と実験し続ける場になっているのかもしれない。そんでこの二つの関わり方をどうバランス取るのが一番いい関わり方なのか、という答えを(そんなのないかもしれないけれど)なんとか見つけたい、それが今の私のいちばんの関心なのかもしれない。この前の研究テーマもそんな感じだったしなあ。

 

難しいよ、そもそもこの二択じゃないんかもやし。でもなんとか良い答えを出したいなあ、諦めたくない。

 

 

長くなった。明日も朝が来る。おやすみ。

 

↓これはお気に入りの定食屋、きゃらばんのハンバーグ定食。ハンバーグが揚げられてて特徴的。

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